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「大人の お伽噺」 1 本物の金持ち




「ロンドンのさる金持ちは、300足の注文靴を毎日、磨かせるために、それ専門の召使を雇っていた。
また、友人の先祖にあたる貴族は、散歩の途中で疲れたら、どこでも休める様に、パリ中の有名ホテルのスイートルームを年間予約していた、ホテルリッツ、プラザアテネ、モーリス、ラファイエル、、、後は覚えられなかったので、いつも適当なホテルを見つけるたびに、フロントで自分が部屋をもっているかどうか尋ねていた。
その友人は、実家に帰ったとき、車を庭の適当な場所に停めたのはいいが、後で停めた場所を忘れてしまい、庭を一時間さ迷った。

、、、これは、全部、実話で、思うに本物の金持ちの行動は、単なる金持ちよりも見ていて面白い。それが、違いなのかな、と私は思う。」
( 百歳堂 敬白 )


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肉屋に、本物の肉屋と単にそれを職業としているだけの肉屋があるように、金持ちにも、本物の金持ちと単なる金持ちがいる。どの職種においても、「本物」というのは敬意に値するもので、多くの場合、彼らは生まれ付いての「本物」で、生き方が常人とは違う。しかも、本人はその事に無頓着な場合が多く、それも趣深い。



いまや、金持ちといえば、アメリカのIT関連というのが相場だが、「本物」となると、やはりヨーロッパ産が本場モノと言わざるを得ないだろう。
なにしろ、ヨーロッパには、いまだに金持ちにとっての抜け道が用意されている。秘密めいた、リヒテンシュタインのプライベートバンク、イギリス近くに浮かぶ島には、表面は穏やかな港町を装いながら、その実、何万という会社がひしめきあっているタックスヘブンがある。お望みならば、詳細な場所は言えないが、パリのどこかに、紳士のための秘密クラブも用意されている。、、、金持ちの歴史が違うのだ。


私の長年の観察によると、その彼らには共通した、幾つかの特性があるように思う。


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壱 「本物の金持ちは、罪の意識や、良心の呵責に悩むという事がない。」


古より、彼らの間では、「優雅なる無関心」というのが、その態度において、最も「シック」とされて来た。幼少の頃からの教育のおかげで、これは、身体に刷り込まれ、染み渡っており、その結果、彼らが罪の意識や、良心の呵責に悩むことはない。

例えば、、、さる国の皇太子が、王様の学校(事実、何人もの王位継承者が在校し、モナコのレーニエ大公も在校生のひとりだった)といわれたスイスのル・ローザを放校されたのは、校庭にあった500年ほど前につくられた典雅な噴水(それは、歴史的名所とも言えるものだった)をダイナマイトで爆破してしまったからで、そのことは、公然の秘密とされている。

当時15歳の少年が、どこから、それだけの量の火薬を用意できたのかは、いまだに不明だが、彼に言わせれば、それは、「ちょっとした好奇心」から試したコトにすぎなかった。、、、たかが、古ぼけた噴水のひとつではナイカ。わが国には、それよりリッパなものが、ゴロゴロしている。代わりが必要ならば、ひとつ寄付しよう、、、。


もし、彼らが多少なりとも罪の意識を感じるとするなら、それは次のようなケースに限られる。


、、、A伯爵は、友人数人を自宅に招いて夕食会を催していた。
宴もたけなわ、料理は、ちょうど、自慢の雉のジビエに及んでいた。この雉は、伯爵が先日、領地で自ら仕留めたものである。その武勇伝を披露しようと、客人を見渡したとき、だが、驚くべき光景が伯爵の目に入ってきた。
それは、本日のゲストとして招いた、麗しきアメリカ女性が、小さく雉を切りわけてから、おもむろにナイフを置き、フォークを右手に持ち替えて、いままさに、その上品な口に運ぼうとしている姿だった。(多分、60年代まで、何故かアメリカでは、こうしたテーブルマナーが教えられていた)

伯爵は、驚きのあまり、武勇伝の披露も忘れていた。そして、テーブルの隅で、母方の叔母である侯爵夫人の目がキラリと光るのを感じた。この叔母は、良い人なのだが、一族のウルサ方として知られている。とりわけ、マナーにはウルサイのだ。

結局、武勇伝は披露されることなく、料理はデザートのカラメルプデイングに至った。伯爵は、味の分からぬプデイングを口に運びながら、こうした場合、紳士としては、客人への気遣いとして、自分もナイフを置き、フォークを右手に持ち替えて、雉を食べる配慮が必要だったのではないかと、恥じた。、、、

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弐 「単なる金持ちは『その物』を買おうとするが、本物の金持ちは『その者』を召抱える。」


ハプスブルグ家やメデイチ家の例を出すまでも無く、彼らの、パトロン好きは、ヨク知られている。いま、世界中の美術館、博物館に飾られる『歴史的名作』の数々が、彼らの気まぐれによって生みだされた。


はたして、芸術家にパトロンは必要なのだろうか。この件に関して、過日、私は、ロンドンのジェントルメンズクラブのバールームで、友人の映画作家と論争していた。その友人は、最近、「最新作」をフェステイバルに出品し、高い評価を受けたところで、彼は当然、殺到する仕事の依頼でノイローゼに成るかも知れないと期待していた。だが、いまのところ、彼の電話は、ピクリとも鳴る気配はなかった。


ご機嫌ナナメの彼は、このバールームで唯一美味いと思えるメニュー、即ち、ビールを片手にこう言った、「芸術家という職業を発明し、確立したのは、そもそも金持ち連中だったはずだ。」彼は、ビールを美味そうに、喉を鳴らしながら飲み干した。 だから「早急に、責任を取って欲しい。」
株式操作の魔法に長けた大資本ではなく、「俺には愛すべき、エレガントなパトロンが必要だ。投資ではなく、退屈しのぎの『気まぐれ』を、契約ではなく、ただ『任せる。』とだけ言って欲しい。」ソウ言って、何杯目かのビールのお代わりを頼みに行った。


パトロンが、はたして彼の言うように都合の良いものかどうかは疑問の余地はあるが、大資本がパトロンにとって代わってからというもの、ある種のアートは存在しづらくなった。
確かに、芸術、芸術家にとって、必要なのは『気まぐれ』程度なのかもしれない。


「芸術」とともに、彼らが貢献した最大のものに、「料理」がある。
彼らが発明した職業に、もうひとつ、『料理人』というのがあることを忘れてはいけない。
つまり、お抱え料理人である。 料理の歴史はここから始まった。

大食漢として知られたルイ14世や、美食家として鳴らしたルイ15世をはじめとして、彼らの飽くなき食欲が、お抱え料理人をして、食を洗練させ、また必要以上にバリエーション豊かなものにした。


いまでこそ、料理界の頂点にたつフランス料理も、もとを正せば、アンリ2世が『メディチ家』からカトリーヌ王妃を娶ったことによる。

カトリーヌ・ド・メディチは、その野心と共にスコブるエレガントな趣味を持っていた。彼女は、フランスなどという野蛮な田舎にお嫁に行くのを嫌がり、故郷と同じく華麗な生活を維持できるよう、フィレンツェからお抱え料理人をはじめとする必要な「芸術家」すべてを引き連れて、やって来た。この料理人たちが、フランスに今の料理の基となるものを持ち込んだというのが定説となっている。(ちなみに、フランスに’フォーク’を持ち込んだのも、彼女だと言うことだ。)
そして、ご存知の如く、爛熟したベルサイユ宮殿では宴会に次ぐ宴会が行われ、そこでは競って豪華で華麗な料理が供された、、、こうしてフランス料理は発展しつづける。

それが、フランス革命後、王侯貴族のお抱え料理人達は職を失い、革命後のパリでレストランを開いていく。こうして、王侯のための料理はフランス全土に広がり、今日のフランス料理となっていった。 


それにしても、パリの料理人が、時として必要以上に傲慢に見えるのも、こうした歴史的背景がアルからなのだろうか。


ちなみに、パトロンと、そのお抱え料理人のエピソードで、私が好きなのはエドワード皇太子が、その料理人アンリ・シャルパンテイを召抱えるに至ったお話である。

時は19世紀、初頭。
皇太子は、美しい令嬢を伴って、保養に訪れたモナコのレストランに食事にお出でになった。美味しい食事も終わり、食後のデザートの段になった。皇太子はご機嫌で、気まぐれから、コースの締めくくりとして、何か今まで味わったことのないデザートをつくるよう所望した。
料理人のシャルパンテイは、はたと困った。エイ、ままヨ。彼は、思いつきで、クレープにリキュールをひっかけ、青い炎がちらついているままテーブルに供した。



「燃えているデザート」というのは、当時、画期的で、しかもクレープ自体が珍しく、また温度によって甘い芳醇な香りも愉しく,皇太子は大満足だった。
それで、彼は、料理人に思わず、このデザートの名を問うた。しかし、もとより、思いつきのもの。名前などあるはずがない。料理人は困惑したが、適当に「クレープ、、、クレープ・プリンスでございます。」と自信なく答えた。

皇太子は、それを聞いて、ドギマギしている料理人の目を見据えてから、おもむろに愛しい令嬢の目を優しく見つめ、こう言った。「そうか、、、クレープ・プリンスか、、、だが、今日から、このデザートの名は、クレープ、、、シュゼット。、、、そう呼ぶようにしなさい。」

「シュゼット」、、、それは、もちろん、この令嬢の名前だった。



翌日、料理人 アンリ・シャルパンテイの元には、使いの者によって、皇太子の紋章の入った召抱え状が届けられた。


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参 「本物の金持ちは、一切、金を持ち歩くことがない。」


思えば、チャールズ皇太子が、アメックスのブラックカードを自慢にしているとは考えにくい。財布すら持っているとは思えない。紙幣も、見た事がないのではなかろうか?だいいち、印刷された女王陛下を有難がらなくとも、本物が傍にいる。

或るロンドンのテーラーが言うのには、本物の金持ちのスーツと、単なる金持ちのスーツの違いは、「内ポケットをつけるかどうかにある」らしい。
つまり、本物の金持ちは、財布その他、一切(自宅の鍵すら)を持ち歩く必要がないので、醜い内ポケットは要らないというわけだ。(彼曰く、その他は特別変らないとのことだ。)


私の観察では、彼らが金を支払う姿も、いまだ見た覚えがない。

例えば、金持ちのランクとしては、少々下がるが、ダンデイで知られたイタリアの自動車会社の会長を、ヨク、或るニューヨークのナイトクラブ兼レストランで見かけたことがある。
彼は、友人数名との会食が終わるや、いつも颯爽と出て行った。離れた席に知人を見つけて、会釈を送ることがあっても、彼が勘定書とニラメッコする姿はツイゾ見なかった。

友人の誰かが、支払うのか、或いは、後で請求書が送られてくるのか、それとも、このレストランも、彼の持ち物の一部なのだろうか。

この店は、当時、ニューヨーク随一のワインセラーがあることで知られていた。集まる人種には、政財界の大物や、ハリウッド関係者が含まれていた。
そして、よく観察すると、この店では、食後、清算を求められる客と、ノーチェックの客の2種類の人種がいることに気づく。

ニューヨークの不動産王といわれた男には、勘定を請求したが、ロックフェラーには請求しなかった。アウ”エドンには請求したが、ミカ・アーテイガンには、多分、請求しなかった。

不思議なことに、本物の金持ちは、金を支払う必要がない。なにより、彼らは、そんな面倒くさいもの=金を持ち歩かないからだ。彼らは、資本主義国にいながら、どこか別の世界にいる。


そう、本物の金持ちに似ているものに、「文無し、浮浪者」がいる。どちらも、金を「持ち歩かない」ことと、それを世間が、認識している点では同類といえる。そして、形は両極端だが、どちらも、常人とは明らかに違う「金を支払わない」ライフスタイルを持っている。


このパラドックスを如何しよう。これは、誰もが推測はできるものの、その実態は、ナカナカ理解しがたいものだ。
ひとついえることは、彼らが、スキーに興じ、ヨットで地中海を巡り、洒落たスーツを誂えるとき、それは、単にそれだけのことで、そのための金のことなど、「考えるはずもない」という事実で、しかも、スキーもスーツも、彼らにとっては、どうでも良いことなのだ。


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本物の金持ちは、はたして幸せなのか? フロイトをはじめとして、「幸せは金では買えない」という赤ん坊みたいな理屈で、我々は彼らに一矢を報いようとするが、それは所詮、ひがみである。
どう考えてみても飛行機がファーストクラスのためにあるように、実態を知れば、残念ながら、その人生の扱いの差にがっかりすると思う。彼らを見ていると、フランス革命や、ロシア革命がナゼ起こったのかがヨク分かる。


残念なのは、最近、彼らの中で、退屈のあまり、「ジェットセット」などに成り下がる者が増えてきたことだ。ロンドンの「アナベルズ」、パリの「ニュージミーズ」、古くはニューヨークの「スタジオ54」で、彼らが単なる金持ち連中の餌食になる姿を目撃することができる。こうして、彼らもまた、俗っぽい「単なる金持ち」と成り果てる。


本物の金持ちが、幸せに、その人生をまっとうし、我々に憧れを抱かせ続けるるためには、2つの敵と戦わなければならない。すなわち「退屈」と、そして、自分と同じ本物の金持ち及びその家族とつきあわなければならないという事実だ。
















私は、この時期になると景気の良い話がしたくなる、、、
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by rikughi | 2005-06-24 00:39 | 1.本物の金持ち


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