「友人を頼りにするような奴に、一人前の男はいない。しかし、頼りにできる友人も持てない奴は、男としての価値が薄い。」 「友人」というコンセプトにおいて、最も先進国なのは、英国、特に、ロンドンといえるかも知れない。 それにしても、私には、ロンドンに限らず、ヨーロッパ社会における「友人」と、現代の日本における「友人」というのでは、その概念において違いがあると、どうしても思えてしようがない。 その違いは、簡単にいえば、かの社会においては、男として生きていくには、「友人」が必要不可欠だが、いまの日本では、多分、いなくてもやっていけてしまう、というコトにある。 逆にいえば、「友人」がつくりにくい、或いは、「友人」をつくれない人が多いのが、日本の現状で、しかも、そういう社会が当たり前になってしまった、とも言えそうだ。 つまり、「友人」というのは、社会のあり方によって、かなり違ったモノになるコトに気づく。 ロンドンが先進国だと言うのは、ロンドンの社会が、男にとって、「友人」がいることを前提とした社会になっている、ともいえる。 「先進国」というには、当然、それなりのノウハウ、システムを持っているハズで、その代表的なものに、「学校」と「クラブ」があると思う。 「ジェントルマンズ クラブ」 金曜日の夜には、クラブで食事をする、、、 というのが、「紳士の習慣」で、これは、ロンドンでは、いまだにそうだと思う。 金曜に限らず、週に2~3度は、クラブのバールームに顔を見せて、雑談とビールかワインを愉しむ。これも、かの地では社会的に認知されている。 いまは、どこのクラブも、バールームとデイナールームまでは、メンバー以外のゲスト、女性も入れるよう配慮されているから、クラブで、奥方或いは恋人とデイナーを愉しむこともできるわけだが、根本的に違うのは、ロンドンの紳士は、「男の付き合い」というものを堅持し、認知させてきたことだと思う。 紳士は、どこかのクラブのメンバーであり、家庭生活とは別に、「男の付き合い」があって、それを、とやかく言われるコトもなく、離婚の原因にもならない。 その「男の付き合い」の最後の牙城が「ジェントルメンズ クラブ」である。 ジェントルメンズクラブは、もともとは、政治的意見を同一とするものが結束して、勢力を確固としたものにしようと、クラブを作ったことが始まりとされている。だから、いまだにロンドンでは、ポリテイカルなクラブというのは脈々と存在し続けていて、これが本筋といえる。 それが、いつの頃か、政治ではなく、オートモービルクラブのように趣味を共通としている者、或いは単に社交のためのクラブというのが出来始め、今ではソーホーなどに、もっとプライベートでファッショナブルなクラブが登場し始め、ニューブリッツで賑わっているらしい。 私は、ホテル クラリッジスの隣の、或るクラブのメンバーだが、クラブの年会費というのは、思うよりは、ごく少額なもので、と言って、メンバーになるのに特別な資格が要るかというと、そういうことでもない。 「メンバーになるには」 では、どうやってクラブのメンバーになるのか?ここに、英国の「友人」というものに対する考えがあらわれていると思う。 メンバーになるには、先ず、既にメンバーである者が後見人となって、これからメンバーにしようと思う者の名を、百科事典のように分厚い、革張りの「キャンデイデイト(候補者)ブック」に書き記す事からはじまる。 クラブには、設立以来の「キャンデイデイト ブック」が後生大事に保管されており、そこには、チャーチルの名も、ワイルドの名もあるはずだ。身分の貴賎に関わらず、メンバーになるには、この伝統的とはいえるが、明らかに面倒な手順から逃れることはできないコトになっている。 「キャンデイデイト」、、、つまり、「立候補する」ことから始まるのが、いかにも英国らしい。フィットネスクラブのように、本人が事務局に申し込むというのではない。メンバーは、コイツは我がクラブに必要だと思えば、「勝手に」いつでも立候補させることが出来て、逆にいえば、本人が、直接、クラブに入会を申し込むことはできない。 立候補というからには、選挙活動が必要で、何をするかというと、「キャンデイデイト ブック」に名を連ねた日からウムを言わさず、後見人に、毎夜、毎夜、クラブのバールームを引き回されるハメになる。 貴方としては、心にのこるスピーチでも、この日のために準備したいところだが、その必要もなくて、ただ紹介されるままに、相手と雑談すれば良い。 話題は、ごく自然なもの、、、確か、私が話題にしたのは「タイ式マッサージが、パリのモーリスのエステよりも、いかに優れているか」とか、「象を仕留めるのにはライフルよりも弓の方がエレガントだとか」、、まあ、そういった、取り留めのない話でけっこう。つまり、いつも通りの魅力的な貴方をみせれば良いだけだ。 ひとしきり話題が弾んだところで、後見人は、そのメンバーにソッと囁く。「ところで、コイツを我がクラブの新メンバーにしようと思うンだが、推薦人の一人になってもらえないかね。」 相手が承諾すれば、後見人はそのメンバーをリーデイングルーム(大概、キャンデイデイト ブックは読書室に置かれている)につれていって、貴方の名前の下にある推薦人の欄にサインをしてもらう。 気をつけなければならないのは、推薦人に名を連ねてもらったからといって、相手に「有難う」とか、握手を決して求めないことだ。これは、あくまで貴方が知らない所で、為されたことで、貴方は、相手が推薦人になったことは「知らない」ことになっている。 たとえ、後見人がソッと囁く手間を省いて、貴方の目の前で、露骨に「推薦人になる」ことを、相手に強要するのを見ても、(大概、そうだが、、、 ) 貴方は「知らない」ことになっている。あくまで、知らない間に、推挙されたのだ。 メンバーになるには、簡単にいえば、より多くの推薦人がいることが決め手になるわけだが、欲を言えば、力のあるメンバーのサインがある方が望ましい。 力のあるメンバー、、、それは、通常、「コミテイー メンバー」(クラブの各種の委員会の委員を務めているメンバー)と呼ばれる人たちである。 「クラブの老人」 この「コミテイーメンバー」の多くは、バールームに数百年、取り残された置き物と間違えそうな、年季のはいった「老人」と相場が決まっている。 私の推薦人のひとり、ジョージ(クラブでは、いくら年上であろうと、初対面であろうと、メンバー同士はファーストネームで呼び合うことになっている)は、やはりコミテイーメンバーで、ロンドン郊外に住むサイエンテイストだった。 郊外に住んでいるので、クラブに顔を見せる時は、上階の部屋に宿泊している。(クラブには、大概、遠方から来たメンバー、或いは何らかの理由で、奥方に家を追い出されたメンバーのために、宿泊できる部屋が10数部屋、用意されている。) クラブに「老人」はつきものだ。英国の「老人」というのは、興味深い人種で、これを見物するためだけでも、クラブに入る価値はあるように思う、、、イヤ、ホント。実は、私は、ひそかに、この分野においてはエキスパートであると自負しているのだ。 私が、この人種に興味を持ったのは、ひとえに、「男は、いかに歳をとっていくべきか」という、きわめて哲学的な命題に対するサンプリングにある。それには、「ジェントルメンズクラブ」は、格好の場所ともいえる。 ただ、彼らは多くの場合、一種の「冬眠状態」、、、ビールを飲んでいるか、タイムズを読んでいるか、或いはホントに居眠りをしている、、、にあるので、観察するには、少し「エサ」を投げかけて目覚めさせる必要がある。 目覚めの「エサ」とは、会話の種である。彼等は、実に話し好きなのだ。 私の観察では、彼らの大好物は、政治、或いは政治家の悪口と相場が決まっている。 かつての格好の話題は、「鉄の女宰相」であった。彼女こそ、不当にも彼等を「英国病の元凶」のひとつ(事実、その通りだと思うが、、、)として名指しした本人である。 彼女についての会話のシメククリは、大概、決まっていて、「なにしろ、彼女は、ジェントルメンズクラブにも所属できないからナ」(女性ダモノ)というものだった。 彼等と話し、つくづく、観察した結果、分かったのは、私の意図に反し、意外にも彼等は自分が「歳をとった」という意識が薄い、ということだった。もっと正確にいえば、外面上は歳をとったが、内面は30代のときと変らないと、意識しているサンプルが多い。さらに、一歩踏み込んで、私が憶測するに、彼等はいまだ「成長過程」にあると信じている。 「男はいかに歳をとるべきか」、、、この命題に対する答えは宙に浮いてしまった。彼等は、実に貪欲で、色恋沙汰はもちろん、かなり大人げない行動もする。友人の父親は、いままさに、通算4回目の結婚をしようというところで、相手は友人より若いロシア美人である。しかも、離婚の度に、地所を切り売りするので、友人は悲嘆にくれている。 彼等は、いまやコワイもの知らずなのだ。一応の金は手にいれた、仕事も成し遂げた、浮世のしがらみからの体面を保つコトも、自分をゴマカスことも必要なくなった。後は、愉しむだけだ。 そう、ココで学ぶべきは、「男はいかに人生を愉しむか」であって、「歳をとるべきか」ではない。実際、彼等の何人かは、自分の歳も正確に思い出せなかった。(単に、ボケただけかも知れないが、、) そして、「いかに愉しむか」のなかには、「友人との付き合い」が必ず含まれている。不思議なことに、彼等は一人では愉しめないのだ。「社交」という概念は、日本で思っているより、ズット深く、そして自然なものとして根付いている。(社交好きの彼らにとって、日本の「オタク」という概念は不思議らしく、私は、一度ならず、質問を受け、説明を試みたが、どうにも理解されなかった。英語では「コレクター」「メニアック」という概念はあっても、あの独特さを伝える概念はないと思う。あえて言えば、ちょっと皮肉な言い方だが、靴オタク=「shoe kids」といったところが近いだろうか) ただ、やみくもに付き合うのではなく、「友人」と付き合うのだ。 「友人の条件」 彼等のいう「友人」とは、おおざっぱに言うと その壱 「育った環境、或いは現在の自分の環境と、それを同じくする者」 その弐 「経済概念、金銭感覚を同じくする者」 その参 「ユーモアの感覚を同じくする者」 これらを踏まえた上で、「興味深い人物(interesting person)」ということになる。 「クラブ」が発達したのは、こうした「条件」をもとに事前に濾過してくれる「フィルター」の役目を担っていたからだと思う。だからこそ、クラブのメンバー同士は、たとえ初対面であっても、一種の不思議な「信頼感」をもっている。 「英国病の元凶」といわれたのは、往年、大きな商取引のほとんどが「クラブ内」で済まされていたからだ。クラブのメンバーには、大企業のトップたち、投資家たる大貴族たち、有力な弁護士もいれば、会計士もいる。すべてを、クラブのデイナールームやリーデイングルームでの囁き話ですませることができた。すべては、密室のなかでおこなわれていたのだ。 英国の「友人」という概念は、形を変えた「帰属意識」と言い換えられるかもしれない。 いまだに、いくつかのネクタイ屋ー例えば「デボネア」などに行くと、「クラブタイ」の一角が設けられていたり、ウインザー公が好きなタイとして「ガーズ(近衛兵)タイ」を挙げて、実際、愛用していたことからも分かるように、この「帰属意識」というのは、案外、彼らの中で大きな部分を占めている。 彼等は、「帰属意識」に基づいて、「友人」をつくり、それは、生きていくうえでの「環境」をかたちづくる。 だからこそ、「友人」は不可欠なのだ。スイスの名門校「ル ローザ」に、成金たちが息子を入学させたがるのも、そうした「環境」を息子のために用意したいからだ。 ヨーロッパの「階級社会」が続くのは、こうした「帰属意識」に基づいた「環境」が受け継がれている事によると思う。ただ、これは受け継がれていったものなので、階層を飛び越えたい者を除いて、極く当たり前のことなのだ。 それと、これは上手く説明できないが、かってのヨーロッパ社会においては、階層同士が互いをリスペクトし合っていた。有産階級は、そうでない階級にたいして、ある種のリスペクトを持っていて、どちらも互いに認め合っていた。それが崩れたのは、どの階層においても尊敬に値する人物が少なくなった現実と、「金」という存在が大きくなりすぎた事によると思う。 英国における「友人」というのは、「帰属意識」を形作る「環境」であり、それだけに「条件」が設定されている。考えてみれば、誰とでも、「友人」になれるわけもない。ただ、それだけに、一度選んだ「友人」に対する礼儀、忠誠は自然ではあるが、深い。そして、男の人生において、「友人との付き合い」は大きな部分を占めている。 思うに、わが国においては、「会社」や「仕事」が優先して、「友人との付き合い」は軽視されているのではないか。真剣に「友人」を選び取り、自分なりの「環境」を創り上げ、「付き合いを愉しむ」ことは、通帳のケタ数を増やすよりは、ズット人生を実り豊かにする。その簡単な事実が、分かりにくい社会になりそうなのが不思議で、残念に思う。 contact 「六義」 中央区銀座一丁目21番9号 phone 03-3563-7556 e-mail bespoke@rikughi.co.jp copyright 2005 Ryuichi Hanakawa
by rikughi
| 2005-08-13 00:46
| 5 「友人」
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INDEX プロローグ 「ダンデイというスタイル」 1. スタイル ボニ・カステラーネ侯爵 1. ボニ・カステラーネ侯爵 2. ボニ・カステラーネ侯爵 3. ボニ・カステラーネ侯爵 4. 「私のワードローブから」 1.ソックスをめぐるダンデイズム 2.美しいシャツ その壱 3.美しいシャツ その弐 4.タウンスーツ 「百歳堂 散策日誌」 ウイーンの仕立て屋 モンマルトルの恋人 京都のお化け ニューヨークのダンデイ 「六義 コレクション帖」 1. コレスポンデントシューズ 2. 「フィッテイング」 3. 「プレイドスーツ」 「男の躾け方」 1 「洗濯」 2 「睡眠」 3 「磨く」 4 「捨てる」 5 「友人」 「大人の お伽噺」 1.本物の金持ち 2.スノッブ 3.プレイボーイ その1 4.プレイボーイ その2 「百歳堂 交遊録」 「日々の愉しみ」 1.シャツとネクタイ 2.旅支度 3. My Favorite Shop 私家版・サルトリアル ダンデイ 1.19世紀と20世紀 その壱 2.19世紀と20世紀 その弐 3.19世紀と20世紀 その参 4.荷風と鏡花 「江戸趣味」 ■ 愛人 「愛人」 Ⅰ 「愛人」 Ⅱ 「愛人」 Ⅲ 「愛人」 Ⅳ 「愛人」 Ⅴ フォロー中のブログ
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