「百歳堂 散策日誌」  サイケデリック 2  ウイーンの仕立て屋



d0004856_21491387.jpgウイーンは東欧のパリと呼ばれていた。

この街では、いまだ、小指にシグネットリングを嵌めた者が優遇され、ボール シーズン(舞踊会が催される頃)になると、街のテーラーは、テイルコートの注文を片付けるのに、大忙しとなる。

ヨーロッパの他の街が、観光地化され、ハイスピードの資本主義に飲み込まれて、同質化していくなかで、この小さな街は、昔気質のままを頑なに守ろうとしているように伺える。

この街の骨格となる「エレガンス」というのは、少しヒンヤリとしたもので、 他の街が失くし始めた極めて「ヨーロッパ」的な社会、というモノが、まだ、生き残っているように思う。

つまり、この街は、観光客向けの外ヅラはともかくとして、閉鎖的だということだ。(他の街が 同質化していくというコトは、閉鎖して 守るべき内実自体が弱体化し、一般的にも、それが前時代的と認識されていることを意味する。)
だから、この街はオールドファッションであることを、いまだに美徳としている。その社会の在り様は、60年代のヨーロッパのまま、立ち止まっているように見える。 
 
この「守りたい内実」というのは、簡単にいってしまえば、「社交界が街の中心にある」、ということだ。そして、その社交界のモラルとか、エトスとか、マナーとかが、街全体に染み渡っているということだ。  これは、いまのヨーローッパでは珍しい。



私が この街を初めて訪れたのは、スーツは着ているが、ミュージシャンまがいのロングヘアーだった頃だ。

それから 幾度も訪れているが、、この街で経験し、「学んだ」コトを、どう上手く、伝えればいいのだろう、、、それは、ニューヨークとも、アジアとも明らかに違う、極めて「ヨーロッパ」的なモノだった。

例えば、没落貴族の骨董屋のコト、、、

コールマルクト通りの先の方に、骨董屋が軒をならべている、、、パナマ帽を被って散歩をしていたから、確か 6月か7月、 季節は夏に向かっていた。

冬の厳しさがウソのように、天気は晴朗で、風は優しく、市場には果物があふれ、瑞々しく輝いていた。

週末旅行で来たつもりが、長居をしてしまって、荷物が増えてしまったので、 私は、ブラブラと 午後の散歩がてら トランクを探しに出たのだった。

だが、数軒、見て回ったが、 手頃なサイズのものが見当たらない。

もう一軒だけ、と思って、入った その店は骨董屋というよりは、古物屋といった方が良い、雑多なもので溢れた店だった。
「雑然」という言葉は、この店のためにあったのではないかと 思うぐらい、古い写真の脇には、銀器がつまれ、その隣には 朽ち果てたシルクの蝙蝠傘がある といった具合で、、、およそ、ドイツ語圏的な 整理癖とは無縁の「展示方法」だった。、、、イヤイヤ こういった店にコソ 掘り出しモノがあるのかも、、、
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店のなかは意外に広くて、真ん中のカウンターの後ろに 店主と思しき中年男と犬が一匹、それに、店主の友人と思われる小太りの男が陣取っていた。


目的のモノはなさそうだが、私は なんとなく 店内を見歩いていた。洒落たプルオーバーを着た小太りの方が、離れたところから、私に向かって笑いかける。笑いかけながら、隣のハンチングを被った店主に、ウイーン訛りで囁くのが聞こえた。「ハンドメイドのスーツを着ている。宝石を売りつけろ。」

オヤオヤ ここは 来るべき店ではなかったカナ、さっそく退散しようかと 思った矢先、突然 犬が、ケタタマしく吼え始めた。
それまで、客に挨拶もセズ、 何か焦点の定まらない目つきをしていた店主が、 急に 犬を 大声でどやしつけた。 「黙れ!黙るんだ!黙ってくれ!」 - その 怒鳴り方が尋常ではなかった。何か ストレスを抱えている、 精神のバランスの悪さが 感じ取れた。


驚いていると、店主は なにごとも無かったように こちらを向いて 「何か、お探しですか?」と、ヨーロッパアクセントの英語で 尋ねた。
つい、反射的に こちらも 英語で 「トランクを探しているんですが、、」と答えてしまった。

「どれぐらいのサイズのものを お探しで?」と、問われ、、「20インチ四方ぐらいカナ」と 私は答える、、、、 

「ここには 置いておりませんが、家に 2つ持っております。 サイズは少し小さくなりますが、叔父が使っていたもので、、、1910年あたりのドイツ製、、、、当時 はやった 樹脂だか ナンダカを固めた素材のもので、、、ソウソウ 、象がふんづけているマークがついてるヤツ、、、ひとつには ストームカバーがついております。 それには 色んな観光地の古いステッカーがはられております。
叔父は船乗りだったもので、、、もちろん、二つとも 鍵がついているコンデイションも良いものです。」

店主は、こう、 まくし立てると、「あなたさまは どちらのホテルにお泊りです? よろしければ、店が終わったあと 家に戻って 夜にでも ホテルにお持ちいたします、、」と、言った。d0004856_22575794.jpg

躊躇はしたが、意外に丁寧な英語に ほだされて 私はホテルの名を残して、店を出た。

、、、それから、 私は、巨大な花屋のなかにある カフェで、友達と 冷たい飲み物に お菓子を楽しみ、別の友人が合流して、郊外にあるレストランに出かけた。料理は、ウイーン風の味の濃いものであったが、素晴らしかった,,,おしゃべりと、食の愉しみで、 私は、とうに トランクのことなど忘れていた、、、しかし、忘れる者がいる片方で、しっかりと 企みを抱えている者もいる、、、ホテルに戻って、シャワーを浴びていると フロントから電話があった。

、、、「骨董屋と申す者が まいっております。 ご要望のものを お持ちした ということなのですが、、、いかがいたしましょう。」
、、、、記憶は 数秒して トランクのことを 思い出させた。「それでは、下に降りるから、ロビーで待たせてくれ、、」と頼んで、 私は着替えることにした。


このホテルの”ロビー”は、昔風の「ウインター ガーデン」(室内庭園)にしつらえてある。中心街の1区にある この私の常宿は 多分 19世紀か それ以前に建てられたもので、 高い吹き抜けのグラス天井を持つウインターガーデンを中心として 回廊のように部屋が割り振られている。

エレべーターは、どこか旧式で 内部はベネチア仕上げの鏡張りになっており スタンド式の灰皿が備えてある。乗り降りする宿泊客は、好むと好まざるとにかかわらず、己の姿と 毎回、対峙することになる。
客室の年代もののドアは、出かけるとき、 閉めるだけでは 勝手にロックされず、忘れずに鍵をかける必要がある。



、、、エレベータの扉があくと、骨董屋は、待ち伏せするかのように、 一番、近いソファに構えていた。私の姿を認めると ゆっくりと立ち上がる。意外に背が高い。

昼間、見かけた印象より、ズット偉丈夫で、ジーンズに軽いジャケットを身につけていた。間近でみる その顔つきは、この街に多い ユダヤ系の商人とは違う いわゆるゲルマン系の顔つきで、チョット 酷薄そうに見えた。
「こんな遅い時間に伺って、ご迷惑だったでしょう」とか、 ひと通り 気遣いの言葉と挨拶があり、私たちは ソファに座って ウエイターに飲み物を頼んだ。

骨董屋がもってきた トランクは、コレクターもいる 「バルカンファイバー」をつかったもので、(いまのグローブトロッター以前にあった 革製ではない 丈夫で軽いトランク)、確かに、象がトランクを踏ンづけているイラストがはいった三角形のマークが 刻印されていた。

トランクは、大小あり、値段は 大きい方が 日本円で約2万円だという。買ってくれれば 小さい方は 進呈すると言う。 モウ メンドウなので 買う事にする。、、サイズは小ぶりだが、ふたつ
あれば、なんとか 荷物も片付くダロウ、、、


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手渡した現金を ポケットにいれながら、何故か、男は立ち去りがたい という様子だった、、、商談が終わると、ソレまでと違って 少し 横柄な 口ぶりも かいま見せた、、、「いまは 郊外に住んでいるので 伺うのが 遅くなってすいません。」「あの店も ここ最近 やり始めたもので その前は ホテルを開いていたのです。」と、男は言った。

「ウイーンで?」と、私は尋ねた、、、ホテルで「働いていた」ではなく、ホテルを「開いていた」というのが引っかかった、、

「イヤ、避暑地の方です。家族の別荘を ホテルに改装したんです。」

別荘!? ホテルになるくらいの避暑地の別荘を持っていることと、あの雑然とした店が スッキリと、頭のなかで 結びつかない。 怪訝ソウであったろう 私の顔色を察したのか、男は、コウ続けた、、、

「実は 私の家は古い家系なんです。」 ソウ言って 小指にはめた 金のシグネットリングを差し出した。 「これが 私の家の 紋章です。」

それは、中世的な 動物とも魚とも知れない図柄が 組みあわさった 不思議な紋章だった。

男は、今度 ウイーンに来るときは 是非知らせて欲しい。オペラの切符も手配する、一般では絶対に手に入らない席を用意する、、、妙に親身で、しかし、 私が、ウイーンに後見人がいるかどうか、この社会をどれほど 詳しく知っているのか 探りをいれているようにも 見えた、、、私は、話をソラシたくなった、、、
「自分のホテルなんて ケッコウなコトじゃないですか」

すると、男の目が妙に 曇った、

「別荘を改装したといっても、施設からいえば 2ツ星ですよ。誰が 避暑地に来て 2つ星のホテルに泊まりたがります?、、、それに、ホテルの仕事というのは たまらなく ストレスがたまるんです。」と、男は言った。

「ソウですか、、」、チョット ”不穏な空気”を感じながら 私は あいまいに 相槌をうった。

「ソウですトモ!客がくると いつも笑っていなければならない。 それに、毎回 銀のナイフやフォークがなくなるんです。 ソレに、毎日 母親と ケンカばかりで、、、もう ケンカは タクサンだと母に いったんデス」 「私は2度と ケンカはしない!」、、、男は 自分の言葉に興奮しているようだった。

男の興奮ぶりに、私は、思わず 周りをみわたした。だが、時刻はいつの間にか、深夜をまわっていた。 人目を心配するまでもなく、我々,二人だけが ”冬の庭園”に とり残されている。
バーマンはサッサと家路についた。ロビーの向こう側のデスクにいるべき、ナイトポーターも 控えの部屋に引っ込んでしまったようだ。見つめているのは、壁に飾ってある リッパな角をもたげた 剥製の男鹿の 偽物の目玉だけだった。


私の所作に気づいて、男は、少し、気を取り直したようだ。 

「、、、もとの私の家は、ウイーン市内でも 美しい館(カーサと言った)の ひとつだったンです。レニ・ルーフェンシュタイン(*「民族の祭典」などで 有名な女流映画監督)と私の母は親しくて、ウイーンに来れば、必ず我が家に泊まっていったものです。」男は、そういって、財布から 幾枚か、写真を取り出して、その一枚を差し出した。
「彼女とは 今でも親しくて、‘私が、死んだら 今、撮っている海底写真の幾枚かの版権をあげる‘ とまで、 私に、言ってくれました。」 誇らしげに、差し出された写真には、この超人的な女流クリエイターを中心に、男と、その母親と思しき老女が 食卓を囲んでいた。

「お父さんは、お亡くなりになったンですか?」 私は、ツイ 無作法な質問をしてしまった。無作法とは、思ったが 彼に ヨク有ル「偉大な父親」の話でもさせて ”花”を持たせようと 思ったのだった。、、、ダガ、、、
 

「エエ、、、、、、父は、、、ソウ、、、生涯、一度も 働きませんでした。いつも、カジノに居ました、、子供の私は、母にいわれて カジノまで 父を迎えに行かされたものです。子供が迎えにいけば、さすがの父も、早く、帰ってくると思ったんでしょう、、、」 男は、思い出を振り払うように、二、三度、頭を横に振った。

「子供の眼からみても、家が苦しくなっていくのが ハッキリ 分かりました。ついに、メイドも雇えなくなり、母が自ら 床磨きもしていました。それを 新聞に撮られて、社交欄に ‘床を磨く 伯爵夫人‘ と 書きたてられたこともあります。」
「、、、その間も、ズット 父は カジノでカードを切り続けていました。日本人のように、無表情な顔で、、、、私は、ダイッキライです!あの無表情が、、父の顔には ズット、表情というのがナカッタ、、、、」 男は、落ち着こうと思ったのか、テーブルのグラスを探る。
しかし、とうに、グラスの中身は飲み干されていた。空のグラスに気づき、ウエイターの姿を 求めるが、既に、ロビーに人影はない。 彼は、しばらく、グラスを持て遊んでいたが、アキラメタように、ゆっくりと それをテーブルに置いた、、、これまで、何度もアキラメテきたように、、

男の声は、少し、低くなった。
「、、ついには、家を手放さなくてはなりませんでした、、、 家を離れる日、母と私は いっしょに半旗を揚げました、、ここでは、家族の誰かが 死ぬと 家に半旗を揚げる習慣があるンです、、私たちの家は そのとき 死んだのです、、」

「、、私は、生まれ育った あの家を愛していたんですヨ、、、分かってもらえますか?、、、もう、カラダの一部みたいなモノで、、庭には、両親も知らない 私だけの 秘密の 宝の隠し場所もあったんです、、、或る日、私はドウシテモ もとの家が見たくなって、犬と一緒にたずねたんです。、庭の秘密の隠し場所に、置き忘れたモノがあるような気もして、、、家を売った相手は、ドイツ人の医者で、いつでも 好きな時に 見に来ても良いと、 売るときに約束してくれたンです。」「デモ、、、門の前で、呼び鈴をならすと、不恰好なメイドが出てきて、不審ソウに私を見るんです。私は 名を告げて アンタの主人に聞いてもらえば分かるから、私は、この家の前の持ち主ナンだから、と言ってやりました。でも、医者は留守だと言うんです。主人が留守だから、見ず知らずの人間を いれるわけには いかないと その一点張りなンです。 サア、帰った!帰った!、、まるで、この家には、お前は不釣合いだと言わんばかりに、、、たかが、メイドがですヨ、、、」
、、、、「私は、家に はいることができなかった、、、」 驚くことに、男は嗚咽しはじめた、、、

私は なす術もなく、男が泣き止むのを待っていた。

「スミマセン、、、」 ようやく 男は落ち着きを取り戻したようだ。

ひと呼吸、間をおいて、そして、、、意を決したように 男は言った。

「私は ゲイなんです。  ソサエテイーの手前、結婚はしていますが、、、今日、来たのも、、、トランクを買ってもらえるか どうか ナンテ 私には どうでもいい事だったんです、、、デモ、長居をしてしまいました、、、 今日は、これで おいとま いたします。」

そういうと、静かに 立ち上がり、軽く会釈すると、 男は足早に立ち去っていった、、、、。

テーブルの上には、茶色い 古いトランクがふたつと、奇妙な疲労感が残った。

 
翌日の午後、私は スーツの仮縫があり、グラーベン通りの なじみの仕立て屋にいた。マスターテーラーは、温和な人物で、この街のことを熟知していた。
店は、永い年月を経て、この街における特殊なポジションを手にいれていた。

私は、外国人だから、この街の社会や人について、迷うときや 予備知識を準備しておきたい時がある。そんな時、この店を訪れ、お茶をゴチソウになりながら、何気ない会話のなかで この人にアドバイスを求めることにしている。友人や知人に尋ねることも出来るが、男の人生だから、場合によっては、ソチラには聞きたくないトキやコトもある。
彼も また 気づかないフリをしながら、手短かだが いつも、適切なアドバイスを してくれる。 これは、値千金で、私は何度か助けられた。
手短な内容では、分かりにくいだろうと、彼が判断したときは、後ほど 彼の息子が 連絡をしてくることになっている、、「父からの伝言ですが、、、」。

、、、フィッテイングをしながら 昨日の興味深い体験を、私は話していた。 最初は、面白がって聞いていた彼だが、男が泣いたという 話の段になって、 温和な この人には珍しく 感情をあらわにして ナサケナイ男だというような意味のドイツ語を言った。 「その男の名前はなんていうんですか?名前がわかれば、私はすぐに身元がわかります」といきまいた。 、、私は 忘れたフリをした。 面白い体験をした ということで充分で、それを リアライズしても 意味がナイと思った。

話題を変えて、オモシロオカシク 無駄話をして、仕立て屋を後にし、 それから、チョコレートと 花を買って 友人宅を訪問し、そして 着替えと ひと休みするために ホテルに戻った。

フロントでは、「お預かりしたモノがあります。」と茶色い封筒を差し出された。部屋に戻って、 見ると、それには、ご丁寧に赤い封蝋がしてあり、昨日 見た 不思議な紋章が おされていた。

なかには、 「奥様に、、」という手紙とともに ネックレスとイヤリングが納められた小箱があった。ユーゲンシュトールのものだろうが、もちろん宝石が入ったものではない。 洒落てはいるが、ビジュー ファンタジー(デザインもの)だ。

手紙には、住所と連絡先が あった。 念のため、ファイルはしてあるが、それ以来、連絡はしていない。








ウイーンの社交界は2つのグループにわかれている、、、
contact
「六義」
中央区銀座一丁目21番9号
phone 03-3563-7556 e-mail bespoke@rikughi.co.jp
copyright 2005 Ryuichi Hanakawa photo by MOMOTOSE DOU
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by rikughi | 2005-04-25 22:16 | ウイーンの仕立て屋


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