「1958年の麗しき秋の或る日、ブローニュの森のウインザー公の館では、その忠実な従僕であるシドニーが、恒例のニューヨーク旅行に備えて、モンブランの山の如く積まれた公のシャツと格闘していた。 さて、質問です。あなたが、ビアリッツに1週間、滞在するとして、何着の着替えを、お持ちになりますか? 或いは、チョット贅沢をして、1ヶ月、ならば? ウ~ン、気軽な外出着として、リゾート用の替えズボンを3~4本、半袖と、夜、冷えるかもしれないから長袖のサマーセータ、それに合わせるアスコットタイと、昼には、便利なネイビーのブレザーか、気分を浮き立たせてくれるパウダーブルーのトロピカルウーステッドのジャケット、デイナーの時には、エレガントなスーツがあったほうが、レストラン(、、、とくに、スノッブなリゾート地のスノッブなレストランの、マトモといえるウエイターたちは、 自分達のプロフェッシェナルなサービスを理解してくれる昔ながらのエレガントな客を、それに見合うチップとともに待ち望んでいるのだ。)での扱いが愉しいし、、、瞬く間に、我がトランクは鯨のように膨れ上がっていく。 私のトランクは、どうして、ソンナに膨れ上がってしまうのか? この半世紀を振り返ってみると、私が旅に費やした時間は、相当なものだと思う。(ホントに、私は、自分の職業を問われれば「旅行家」と答えるのが正しいと、真面目に思っている。) その経験値から計れば、私はプロフェッショナルなはずだが、荷づくろいの方は、世間一般でいう「旅慣れた気軽なもの」からは、いつも縁遠い。 証拠物件 その壱 「鰐皮のフィッテイング ケース」 「旅の時間」、、、それが、どうあって欲しいかで、携えるものも違ってくると思う。 「旅の時間」、、、私は、それは、贅沢で、美しくあって欲しいと思っている。 つけ加えれば、いまの私の場合、それに少し「ノスタルジー」が混ざる。昔、足繁く、かよったレストランやカフェ、ナイトクラブ、二人で歩いた通りを、もう一度、見ておきたいという衝動にかられる。人生も、半ばを過ぎてしまったので、そんな甘ったるいノスタルジーを、もう、許してやっても良いと感じ始めた。 昔日への郷愁と、新しい出会いとが混在した「時間」、、、 この、特別な「時間」のために、私は支度を整え始める。 証拠物件 その弐 「ドレッシングガウンとモロッコ革の室内履き」 世界中を、行ったり来たりしている間に覚えたことは、どこで目覚めようが、自分のスタイルを楽しむことが大切で、結局、その方が心地良いというコトだ。 ところで、ソモソモ、人は、どうして、ソンナに「旅」に魅かれるのか?安楽な「我が家」から、どうして、ソンナニ旅立ちたいと思うのか? 思うに、人が捉える「時間」の充足度というのは、環境の変化、経験の変化、という風に変化の要素が重なるほどに(良い意味にしろ、悪い意味にしろ)、高まっていく、、、「旅」は、擬似的に、それを呼び起こす、手軽なドラッグなのだ。 だから、古の有閑階級は、「退屈」を逃れるために、しばしば旅に出た。(それは、何かを目的とした「旅」ではなく、ある意味、純粋な、「旅」のための「旅」だった。) 中毒が過ぎると、私の叔父貴のように旅に果てる者もでてくる。そこまでいかなくとも、芭蕉や、ランボオならずとも、旅に「新しい自分」を見出したいと、出掛ける者は、古今東西、いまも枚挙の暇がないだろう。 「新しい自分」、ちょっとした「刺激」、、、人は、「現実」に疲弊しながらも、いつも「何か」を捜し求めている。 「何か」を期待して、人は旅に出る。 我が家の納戸に眠る、家族が残した「旅の記憶」、、、異国のホテルのシールや、荷札がついたトランクやらバニテイーケース、勿体ぶった革張りの手帳や、アドレスブック、、、それらを見るたびに、彼らの持病のカルテを覗き見しているヨウな気がしてしまう。彼らは、何を期待したのか? 、、、1935年の4月、祖父はシャンゼリゼ通りにあった、仕立て屋「クニーシェ」のパリ支店で買い物をしている。、、同じ年の10月、祖母は、競馬で掛け金を失っている。、、1978年の7月、私は、ニューヨークの「ワン フィフス」というスノッブなオムレツ屋で、友人と日曜日のブランチを摂っている、、、そのレストランは、アールデコ風の豪華客船の船室を模して内装されていた、、、あの頃のニューヨークは、まだ治安が悪くて、それよりも道路の舗装が悪いのに閉口したとある、、、そう言えば、あの時、友人に強く勧められて、街歩き用にスニーカーを買ったハズだ、スポーツ以外にスニーカーを履く習慣が、まだなく、選ぶのに苦労した、、結局、いちばん、革靴に近いと思ったベルギー製のブルーのスエードのプーマを買ったハズだ、、、私は、こうした旅から、何を得たのだろう? 、、、多分、それは、美しいけれど瞬間的で、それ自体には意味のない記憶の断片だと思う。 それは、、、ビアリッツの、思いのほか、荒々しく押し寄せてくる波とか、何もすることが思いつかないバーデンバーデンの午後とか、冬のドーウ”イルの砂浜で、海風に乱された髪をかきあげる彼女の指先の真っ赤なマニュキアとか、、、そういったもので、ただ、それが、モザイクのように合わさって、今の私の精神をつくっている様な気がする。 「精神」、、、という言葉で、思い出すのは、我が叔父貴のことで、私は、この叔父から「旅の愉しみ方」を教わった。 叔父は、家族や親戚から「アイツも道楽が過ぎなければ、ひとかどの人物になれただろうに、、」と、いわれつづけた人だった。 結局、叔父は社会的に評価される職業には、生涯つかなかったと思う。私は、まだ子供だったので、叔父の実状は、よくわからなかったが、気軽に長旅にでかけていたり、そうかと思うと、突然、洒落た異国の手土産を携えて、「ご無沙汰。」と、我が家を訪れたりしていた。 叔父は、子供の眼から見ても、他の大人と比べて、「変わって」いて、それが、私には魅力的に映った。叔父も、私を可愛がってくれて、家に来る度に、キャッチボールや、トランプゲームにつきあってくれた。(将棋や、碁や、チェスを本格的に教えてくれたのも、この叔父だったし、一度は、土産にミニチュアのルーレットなど、なかなか本格的なギャンブルセットをくれて、ギャンブルの心構えと、粋なやり方を子供相手に伝授しようとした。)それをしながら、異国の言葉や、夕日や、海や、食べ物や、様々なことを、面白おかしく教えてくれた、、、 あの時、子供をもたない叔父は、意識したかどうかは分からないが、言葉でもって、何らかの自分の遺伝子を、私に残そうとしたのかも知れない、、、。 叔父が教えてくれた、旅の極意というのは、例えば、 「人は旅先に着いてから、楽しもうとするが、道中を楽しめなければ旅ではない。」というものだった。 叔父は、確かに「移動する」のに、金をかけていたし、楽しもうとしていた。単に最上等のクラスに乗るだけではなく、例えばパリに行くにしても、いくつものルートを考えて、寄り道していくのに凝り始めた。一時は、砂漠をバイクで横断して、パリに入るという計画も考えたようで、しかし、それは、誰かに先を越されたということで、アキラメタということだった。 (私は、この「叔父の先を越した」人と、後年、成人してから偶然にも知り合っている。この方は、元新聞社の女流カメラマンで、その後、パリに住み着いていた。砂漠を横断するぐらいだから、やはり、一種の女傑で、人を見る眼は厳しいが、人情厚く、フランスを訪れた様々な日本人<その中には有名な人もいる>がお世話になっていると思う。 叔父の口癖は、「一番大事なのは、ソイツの精神で、人の違いはソコにある。精神を除けば、後は脂肪と水分で皆、同じようなものだ。」(その割には、美人をコヨナク愛したが、、、)というものだった。「精神も植木と同じで、水を遣り、良い養分を与えなければ育たない。」、だから「精神上、良くない職業」にはつかズ、金を稼ぐよりは、使い果たすことに専念した、、、。 理屈としては、興味深く、同意もしようが、コレデは、家族は納得し難いのは当たり前で、変人扱いされるのも無理がない。それでも、叔父は自分の「精神」というものに拘った。 叔父が、理想とした「精神」というものが、どのようなものだったのかは、私には、分かるようで、分からない、とうのが正直なトコロで、ソコまで「精神」を追い求めた叔父が、何故、「旅する」ことに一生を費やしたのかも、分かるようで、現実感を超えている。 結局、叔父は旅の果てに住みついた異国で亡くなり、私の手元には、黒い革表紙のアドレスブックが、形見として残った。その中表紙には、達筆ではあるが、鉛筆の走り書きで、敏行の歌が記されていた。 老いぬとてなどかわが身をせめぎけむ老いずは今日に逢はましものか (、、、歳老いていく自分を、何故、嘆くことがあろうか、歳を経て来なければ、今日という「一日」にめぐり逢わなかったのだから、、、) 「旅」の成分には、何か分けの分からないモノがあって、それは肉体とか、「スケジュール」とか、ハッキリとした形のアルものとは別に、確かに精神に「水を遣る」ようなモノが潜んでいると思う、、、 、、、さて、山と為す旅の荷物に悲嘆にくれていたシドニーは、思いあまって、公爵夫人に進言した、 「ハイネス、我々は毎年、ニューヨークにでかけるのですから、向こうで必要な服は、いっそ、ニューヨークの家に保管しておいたらいかがでしょうか?」 公爵夫人は、答えて曰く、 「シドニー! どうして、いままで、ソレに気づかなかったのかしら!」 、、、こうして、シドニーは27個のトランクから開放され、後年、ウインザー公の遺品を集めたサザビーズのオークションでは、手のひらにのるぐらいのアルミ製の釣り針ケースが5~6個、出品された。それには、整理された、色とりどりのスーツの生地スワッチ(それらは、約5センチ四方に切られ、厚紙に貼られていた)が、お行儀よく詰め込まれていた。 そして、そのケースには、それぞれ、「ニューヨーク」、「la Croe」(公の南仏の家の名前)、「The Mill」(公のカントリーハウス)と、スーツのおいてある場所の名が、記されていた。 ちはやぶる神世もきかず龍田河唐紅に水くくるとは、、、 contact 「六義」 中央区銀座一丁目21番9号 phone 03-3563-7556 e-mail bespoke@rikughi.co.jp copyright 2006 Ryuichi Hanakawa
by rikughi
| 2006-07-03 02:40
| 2.旅支度
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INDEX プロローグ 「ダンデイというスタイル」 1. スタイル ボニ・カステラーネ侯爵 1. ボニ・カステラーネ侯爵 2. ボニ・カステラーネ侯爵 3. ボニ・カステラーネ侯爵 4. 「私のワードローブから」 1.ソックスをめぐるダンデイズム 2.美しいシャツ その壱 3.美しいシャツ その弐 4.タウンスーツ 「百歳堂 散策日誌」 ウイーンの仕立て屋 モンマルトルの恋人 京都のお化け ニューヨークのダンデイ 「六義 コレクション帖」 1. コレスポンデントシューズ 2. 「フィッテイング」 3. 「プレイドスーツ」 「男の躾け方」 1 「洗濯」 2 「睡眠」 3 「磨く」 4 「捨てる」 5 「友人」 「大人の お伽噺」 1.本物の金持ち 2.スノッブ 3.プレイボーイ その1 4.プレイボーイ その2 「百歳堂 交遊録」 「日々の愉しみ」 1.シャツとネクタイ 2.旅支度 3. My Favorite Shop 私家版・サルトリアル ダンデイ 1.19世紀と20世紀 その壱 2.19世紀と20世紀 その弐 3.19世紀と20世紀 その参 4.荷風と鏡花 「江戸趣味」 ■ 愛人 「愛人」 Ⅰ 「愛人」 Ⅱ 「愛人」 Ⅲ 「愛人」 Ⅳ 「愛人」 Ⅴ フォロー中のブログ
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クラシックな「紳士用品店」をはじめました、 「Classichaberdasher 六義 」 www.rikughi.co.jp (*ほぼ毎日更新、初めて訪れる方は会員登録が必要です) このブログは、4つのブログと関連して存在しています、 「六義庵百歳堂」 最初に書き出したもので、サブタイトルの「人生が二度あれば」というのは、二度とないので、いまの自分を愉しみましょうという反語のつもりでした、なんとか半世紀を越えて生きてきて今一度「人生は愉しい」ということを再認識するために書き出したものです、年々、呆けていきますから。 極めて、マイペースで書いています。 「百歳堂毘日乗」 文章の完成度や、テーマの整合性を考えずに、思いついたことを綴るものが欲しくて始めたものです、ある意味、アバンギャルドにしたいと願っています 「テーラー六義」 六義のテーラリングについての拘りです、少し拘りがあります 「Bespoke Shoes 六義」(NEW) 六義のビスポークシューズについての拘りです、先鋭的なクラッシックを目指しています それぞれのブログへの移動は、「リンク」をご利用下さい、 では、貴方が少しでも愉しまれることを願って、少しづつ筆を進めます、 百歳堂 敬白 その他のジャンル
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