「六義  コレクション帖」  2 フルモックアップ と フィッテイング


「フルモックアップ」 六義


體に六義有り。
一は則ち情深くして脆ならず、二は則ち風清くして雜ならず、三は則ち事信にして誕ならず、四は則ち義直にして回ならず、五は則ち體約にして蕪ならず、六は則ち文麗にして淫ならず。
( 「古畫品録」 )



d0004856_21232312.jpg「六義」という名を 不思議に思われる方もいらっしゃるが、この名は、「古畫品録」という 古い本の 一文に由来する。
これは、極く、大雑把にいえば、画、書をする者、観る者への教えの書、戒めの書だが、我が家は、ヨホド、これが気にいっているらしく、小さい時分、諳んずることを強いられた。
その意図は、痛いほど、分かるのだが、どこか盆栽作りに似た、人工的なイヤラシサを感じて、私の代になったら、すべてヨスことにしている。 この時代、男は、他にモット、学ぶべきことがある。盆栽の美しさより、形は拙くとも、たくましい野生の大樹に成ることが尊いと思う。



大久保とロンドンで、出会い、二人して、銀座に店を開く事になったとき、浮かんだのは、しかし、この名だった。(教育というのは、凄いナ。)

名は、体を表す、、、マーケテイングやら、デザインやら、カタカナが多いことを生業としていたから、「それらしい」洋風の名前も、ハヤリにのったゴマカシも、捏造できたろうが、そンなモノは、ウソッパチだと知っている。
らしくない名かも知れないが、これから、やろうとしていることの「所信表明」としては、これ以外、ふさわしい名を、思い浮かばなかった。



「フィッテイング コンセプトのある靴屋」 


オッ、この旦那は、紳士だ。
、、、上等な靴を、履いてラッシャる。

(映画「マイフェア レデイ」、 コベントガーデンの花市場での出会いの場面より)


その昔、上等の注文靴を履いていることは、紳士の、第何番目かの条件だった。だから、注文靴屋は成り立っていた。

それが、60年代あたりから、需要と供給のバランスが崩れ始め、もとより、経営ノウハウのなかった注文靴屋は追い込まれていく。

「経済」と「質」のジレンマのなかで、この時代あたりから、注文靴はバラツキが出始める。

ロンドンの靴づくりを、例にとると、ここでは、完全な分業体制がしかれていて、有名な靴屋といえど、最初から最後まで、自社のワークショップで靴を完成させるところはない。
大概、よくて、ラストとパターン、クリッキングまでで、クローザー(アッパーを縫う=製甲)、シューメーカー(底付け)は、アウトワーカー(外注)ということになる。
ここで、問題なのは、本当に優秀なアウトワーカーは、ロンドンでも限られており(クチウルサイ人は、3人だけだという)、ここに、ロンドン中の各靴店の注文が重なっていくことだ。 当然、それでは、注文はまかないきれないから、他のアウトワーカーにも発注は流れていく、だから、同じ店に頼んでも、客によって、質が異なるというコトになる。


私は、ヨーロッパで靴を頼むときは、アウトワーカーを指定するか、総ての工程において、AAAクラスの技量をもち、自社のワークショップ(それも、1920年以前に創立された)内で完結できるアトリエ(いまや、稀で、信頼できるのは2軒となった。)に、頼むことにしている。

1920年以前というのは、大恐慌前のヨーロッパだけが、エレガンスというのが必然で、そのために金を浪費できた社会だっただからだ。

この時代には、スタイリッシュな顧客(当然だが、すべての顧客ではない)が、スタイリッシュな靴、、、これも、すべての靴ではなく、稀に、ラストのあり方、パターンの秀逸さ、など、現在とは違うものがある。ウイーンのヘルメスウ”イラの博物館でみた、1910年代のナポリでつくられた、散歩用のブーツは、素晴らしくエレガントなラウンドトウをしていた。それは、クラッシックなものだが、ロンドンの形とも違う。何故か、ローマのベッピオという老人が、いまも作っている靴のトウは、これに似ている。、、、を注文していた。この時代に、創業した店には、その資料が残っているはずだ。


個人的には、ロンドンはアキラメタ。
ここ、数年のロンドンをみていると、どこかマズイ雰囲気を感じる。

たとえば、長い間、紅茶は、外で飲んでも、「20ピー」(20ペンス=40円、紅茶は万人のもので、値段は別物と英国では考えられていた。)ぐらいのものと決まっていた、それが、いまや2ポンドぐらいする。昼につまむ、サンドウイッチが、これも3ポンドぐらいはする。それで、タクシーの運チャンは、マイドリンク、マイ弁当を持参している、(日本食のテイクアウトが流行っていて、若い子が「ベントウ」という日本語を知っているのが、妙だった。)高くて、外で食べられないと言う。しかし、市場で買う食料品は、日本に比べて格段に安い。日本より、安い食料品が、加工されると、日本より、高くなる。

つまり、店で買うと、人件費や家賃で、そんな質でもないものが、高くなる。これでは、買う人が少ない、だから、又、高くなるという悪循環。街角でみた、この小さなフレームは、いまや ロンドンのすべてのものに あてはまっていくと思う。


多くの店で、靴を注文してみて、気がついたのは、明確な 「フィッテイング コンセプト」を持つ靴屋が、意外に少ないということだった。これは、何故か、指摘する人が あまりいない。
ほとんどの店は、「メジャリング」だけで、作ろうとしている。

せっかく「ビスポークした」のに、足にあわない、という人がいる。チャント、採寸してもらったのに、と。しかし、残念ながら、各部所のメジャリングのみで、ラストを削っても、万全な靴はできない。立体にあわせるという難しさと、歩くという行為を忘れている。これで、仮縫いも、いいかげんで、或いは、仮縫いナシとなると、合う靴ができるほうが、奇跡といえる。
靴を足にフィッテイングさせるということは、かなり具体的な作業で、魔法のようなものを、期待するものではないと思う。

これは、テーラーを考えてみれば、分かりやすい。優れたテーラーは、フィッテイングに対する考えを持っている。採寸のみで、スーツをつくっても、それは格好の悪い、着づらい服になる。フィッテイングとスタイルを確認するために、スーツは、何度も仮縫いをし、中縫いもするのに、何故、靴には、「奇跡」を期待するのだろう。
それに、スーツは、ただ着づらいだけで終わるが、合わない靴で歩いていると、下手をすると足の変形を招く。第一、歩きづらいと思う。

ヨク、「靴を慣らす」といわれるが、アレは、「靴が壊れ(或いは崩れ)」はじめているダケだと思います。一般に、既成の靴は、コワレル(クズレル)ようにできている。その過程で、偶然、足にフィットしたような気になるが、しばらくたつとユルクなり、本当にコワれ(クズレ)てしまう。
ただし、既成靴と注文靴は別物で、値段も違えば、構造も違う。比較するものではないと思います。

本物の注文靴は、履いて2時間ほどたって、革が体温で温まり、フィット感が一度、変る以外は、何年たっても履き心地が変らないものが、理想とされている。
チョット、考えてみれば分かることだが、わずか数ヶ月、数年で履き心地がかわってしまっては、ワザワザ、仮縫いをし、フィットさせる意味がなくなる、というものだ。
履き心地が変らない、崩れないことに、良い職人は、誇りを懸けている。

或る靴屋では、ワニ皮の注文は受け付けないコトにしている。それは、釣り込む力が、かなり強く、ワニ皮では、斑のところが切れてしまうからだという。長年、履き心地が変らない靴をつくるためには、この強力な釣り込む力が必要なのだという。実際に、ラストに釣り込まれたアッパーの履き口を、指で弾いてみると、弦のように鋭い音がした。

できあがって、試着してみて、不都合があれば、具体的に修理に出すか、作り変えるか、或いはアキラメルしかない。スーツも同様だが、靴は特に、当初からフィットしているべきモノで、「履いているうちに、慣れて、足に合って来る」という、曖昧な、マジックのような事は期待すべきことではナイ。


「明確なフィッテイング コンセプトとは」


大久保と、2年間の準備期間で話し合ったのも、この「フィッテイング コンセプト」だ。
先ず、「ストロング フィット」を、基本線とした。

巷間、タイトフィットとかコンファタブルとかいわれるが、これは曖昧で、意味がないと思う。多分、採寸をもとに、それから何ミリ、逃げるかということなのだろうが、これでは、ユルクなるか、キツクなるかだけで、快適でスタイリッシュな靴をつくるために、どうするかという、コンセプトがない。例えば、タイトだが、コンファタブルとしたときに、はじめてフィッテイングのコンセプトが浮かびあがってくるのだと思う。

「ストロングフィット」(呼び名の是非は、ともかくとして)というのは、シェアのマルクスも時折、使う言葉だが、歩行にあわせて、フィットさせるべきポイントは、キチンと皮膚についていかせるということだ。これは、言葉では、タイトフィットと似ているように思うが、全く次元が違う。

ポイントの割り出しがモット明確で、どこをフィットさせるかということに、意志があり、コンセプチャルなのだ。実際、タイトフィットといわれて、造られた靴には、往々にしてポイントは緩かったりするモノがある。
また、どこもかしこも、フィットさせれば良いかというと、それは、余裕のない靴になり、快適な履き心地とは縁遠いものとなってしまう。

ここからは、言葉で説明するのは、正直いって難しい。実際に靴をみながら説明するしかない。ただ、基本は、カカトと甲、土踏まずをフィットさせ、足指は開放してやる、ということになる。

これは、言葉でいうと簡単だが、ひとつ、ひとつを明確にしていく作業というのは根気と集中力がいる。立体だから、矛盾は、当然、起きてくる。

言葉で伝えられえる範囲でいうと、カカトのフィットは歩行において大事で、それも単に小さくするのではなく、運動を考えてアキレス腱をつかまえなければならない。六義のラストは、昔、トウーゼックが試みたように、ヒネリを加えてあるが、日本人の足を考慮して、ウイーン風のバナナラストのあり方もとりいれてある。これに、履き口が浮かないよう、足首に沿ったラインをつくったので、かなりオリジナルなものとなった。

足裏も、平面でなく、できるだけ、くるむ形にするため、土踏まずには瘤が用意されている、、、


「メジャリング」ではなく、「フィッテイング コンセプト」というのは、靴というのを、全体で、どう捉えるかということで、その靴屋の 大げさにいえば、哲学とも言える。この手間を惜しまない、哲学とかコダワリが、いまや、希薄になっているように思う。そして、その希薄になるやり方が、少し、ズル賢くなったような気がするのは、私がヘソ曲がりだからか。


「ハウスラスト」 

これを、基本としてハウスラストをつくることにした。いまでは、老舗といわれるところでも、既成のラストをつかっている処が多い。 しかし、独自のフィッテイング コンセプトを明確にするということは、どうしても、オリジナルのハウスラストが必要だった。


「日本人にあった木型」というのがよく聞かれるが、日本人と欧米人の足は確かに違うと思う。ただ、ともすると、「幅広」というポイントのみがクローズアップされるようだけど、むしろカカトが小ぶり(薄い)だと思う。私が、ヨーロッパで注文した経験からいうと、多くの靴屋で、フィッテイングの際、カカトのフィット(ゆるさ)が気になったことからも、そう思う。


六義の店に並ぶ、オーダーサンプルを良く見て頂くと、ラストがすべて、少しズツ違うのに気づかれると思う。このハウスラストは、数十回、改良されている。

もうひとつは、フィッテイング(仮縫い)である。いかに、天才的なラストメーカーでも、採寸だけではフィットさせるラストはつくれない。これは、動かしようのない事実だ。







「六義」のフルモックアップ 

色々、考えた末、六義では、フルモックアップをつかって、フィッテイングを行う事にした。
本縫い用と同じ革を使い、サイドライニング、つき芯をいれて、本縫い同様、釣り込む。ソールがコルクでつくられる以外は、ほとんど完成品に近い状態でフィッテイングチェックができる。
コルクソールも、完成時をイメージできるように、ベベルドウエスト、ピッチドヒールを再現し、ヒール形状、ウエストの形状を確認できるようになっている。雰囲気を掴むため、コバは黒く塗られている。もちろん、両足つくられる。
フィッテイング時には、つま先部分をカットし、靴の内部での、足指の収まりを確認する。
このモックアップは、フィッテイング後には壊され、ラストの修正を行ったあと、新たなパターンを組みなおし、革も新たに クリッキング(カット)される。(下段のものは 欠点が分かりやすいように、白い革を使用している。)



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六義 銀座

東京都中央区銀座一丁目21番9号 箱健ビル1階
電話 03-3563-7556











copyright Ruichi Hanakawa photo by T.Okubo  「書」 Aya Kakogawa 

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by rikughi | 2005-05-16 21:28 | 2. 「フィッテイング」


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