カテゴリ:モンマルトルの恋人( 1 )

「百歳堂 散策日誌」 サイケデリック 3  モンマルトルの恋人

 
「 本を一冊だけ携えて 明日 旅にでかけたい。」
( 百歳堂敬白 )
  
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日は、いつの間にか、昨日になっていて、記憶は、しだいに後先が曖昧になる。どの旅の思い出もまざりあい、手触りを失って、都合の良いノスタルジーへと姿を変える。


1982年の初夏、私は、サクレクールの真裏にある、モンマルトルの宿にいた。その時、現代日本画の、ヨーロッパでの展覧会を頼まれていて、翌月には、打ち合わせのため、日本に戻ることになっていた。

50人の日本画家が、それぞれ50号の画を描くという、その展覧会は、企画としては面白かったが、大作があるでなし、歴史的な名作があるでなし、キューレーターとしては、実際の会場を思い浮かべたとき、どこか面映いものを感じたろう。それに、当時のヨーロッパでは、現代日本画は、ファインアートというよりは、まだまだ、装飾美術という捉え方が大勢だったという不運がある。
しかし、企画そのものに、クチを出すには、当時の日本の画壇、それをとりまく周囲は、権威に固められていて、政治力も持ち合わせず、歳の若さもジャマをした。

いくつか、めぼしい美術館に手紙をだし、あたってはみたが、返事は芳しいものではなかった。それでも、ロンドンでは、幸いバービカンがオープンしたての頃で、企画展の予算に乏しかった、その美術館は、会場設営の費用をコチラが持つという条件で、話にのってくれた。

それで、パリの会場のめぼしをつけるという目的もあっての旅だったが、いつものチュルリー公園近くの定宿ではなく、モンマルトルにしたのは、何か、小さな逃避めいたものが働いていた、と思う。


私は、何から逃れたかったのか、或いは、ホンの少しの間、ソレを忘れたかったのか。

2005年の私は、1982年の自分を、とうに失くしている。記憶を辿れば、辿るほど、追いかけようとしても、相手は通りの向こうを歩いているような、一体になれないモドカシサが,つのる。


je voudrais tout que te souviennes,,, 思い出して欲しい、、、



d0004856_21492667.jpg地図をひろげて、27歳の私の足取りを探ってみる。

の宿は、ラマルク通りをサクレクールの方へ上りきった所にあった。サクレクールから階段を下りて、ピガールを抜けていくと、慣れ親しんだ2区から1区が現れる。
反対側に、降りると、向こうにクリニャクールを望む、昔ながらのパリの下町が広がっている。

サクレクールで、観光客は堰き止められ、ここを境に、北側と南側では、街は一変する。事実、観光客で、賑わうサクレクールまで、歩いて、ホンの2-3分のところにあった宿の通りは、人影もまばらになった。

キュステイーヌ通りが、バルベス大通りにぶつかる2-3本手前の角には、いつも立ち寄るカフェがあった。

その小さなカフェには、年季のはいったビリヤード台がひとつと、ピンボールがあった。
中年の気の良さそうな店主が、一人でキリモリをしていて、店の名前は、どこかに書かれていたはずだが、そういえば、私は、一度も、名前を確かめることをしなかった。
zincと呼ばれる、鉛だか、ピューターだかで出来た、昔風の鋳物のカウンターがあって、それは、いつも磨きこまれていた。

私は、この旅の間中、いつも、このカフェに立ち寄ることにしていた。最初は、ただ、ソコに店があったからだが、やがて、それは、ひとつの「場所」となり、一日の習慣となった。


2度目か、3度目に、立ち寄ったとき、私の姿を認めて、店主は、本当に嬉しそうに笑った。心底、嬉しそうに見えた。
といって、馴れ馴れしく、話しかけてくるわけでもなかった、ただ、私が現れると、向こうから「いつもので良いか?」と嬉しそうに声をかけてくることだけが、私たちの新しい習慣となった。

いま思えば、私は、このとき、この街の一員に成れたのかもしれない。



C`est tout un poeme,,,それは 詩のようなもの


私は、いつも、通りを眺めながら、ミルクが入った濃いカフェを立ち飲みし、飲み終われば店を出た。私は、何を眺めていたのか。

一度、男と女がワメキ散らしながら、店に入ってきたことがある。女を追いかけるように、飛び込んできた男の目は、ジャンキーのように切羽詰っていた。カウンターにぶつかるように、女に追いつくと、諍いながら、それでも女はカフェを注文した。

女は、長く縮れた髪をしていて、アルメニア系の顔をしていた。実際に、アルメニア人かどうかは、わからないが、少なくとも、パリで生まれたのではないことは分かる。どこか、別の場所からココにやって来たのだ。男と暮すアパルトマンと、カフェ以外、彼女には避難場所はない。

男は痩せていて、ジーンズに青いポロシャツを着ていた。若くもない。女も若くない。30代ぐらいの男と女。そうだ、、、俺は30になるのがイヤだったんだ。
歳はともかく、できることなら、才能だけで生きてみたかった。それは、そうすれば良いだけなのに、情けない事に臆病だった。

見逃してはいけないコト、肝心なコトに臆病だったから、失敗もないかわりに、何も起こらなかった。例えば、「彼女」のこと、

その頃、ロンドンに「お姫さま」みたいに想っていた女友達がいた。その子は、ホントに美しい横顔(プロフィール)をしていて、いつも、マーケットで見つけてきた古着のワンピースを着ていた。淡い色のシルクデシンや、昔風の小花模様のもの、、繊細な色感を持っていて、その姿は、いつも優れた印象派の絵をみるようだった。

ハイヒールを履いていたのを見た事はなくて、いつもクラッシックな室内履きか、シンプルなフラットシューズを履いていた。そして、古着に穴が開いていれば、そこを安全ピンでとめるだけ、、、無駄な気取りはなかった。

当時、お洒落な人が多かった中でも、群を抜いてセンスが良かった。絵とか、音楽とかに表現されなくても、生きているだけで、その美意識が、人を、こんなに魅了するものかと思った。とにかく、俺は彼女の姿をみるだけで、心が満たされ、幸せになった。d0004856_1255221.jpg


いつのことか、彼女の足元をみると、ベルベットの室内履きから、いろんな色の紐が顔を出していた。不思議に思う俺の表情に気がついて、「お姫さま」は、靴を脱いでみせてくれた。紐と思ったのは、アンテイークのシルクのリボンで、彼女は、靴の中に、色とりどりのリボンを、一杯詰め込んで履いていたんだ。「綺麗でしょ」、リボンよりも、俺は、その細い、白い足に魅きつけられた。石膏のように白い、その足に踏まれた絹のリボン、、、彼女は、毎日を詩のように生きていた。
貴女にとって、一日は長かったのか、短かったのか

彼女は、いつも静かに笑っていた。何かを、強く主張することもなく、それ以外、リアルな社会に対応する術を知らないかのように、何が起こっても、何を聞いても、微笑んでいた。

しかし、夏のタオルミナで友人たちと大騒ぎしているとき、旧式な黒い電話が、彼女が自殺したことを報せてきた。

言葉は思いつかなかった。人は、本当に大切なものを、突然、失くすと、ただ呆気にとられるだけで、無力なのだと気付いた。そして、理屈で考えるよりはズット、なかなか拭い切れない「不安」の種子が心に こびりついて、悩ませる。

その夜、バーで味気ない酒を飲みながら、誰かが言った。「生きていくには繊細すぎたんだよ」、皆、弱く、頷いた。俺は、聞かないではいられなかった、「それで、誰か、彼女と寝たヤツはいるのか」、だれもが、力なく首を振った。結局、皆、俺と同じだった。ただ、眺めていただけだ。あの、静かな、穏やかそうにみえた微笑は、誰かに助けを求めるサインだったのか、それとも、彼女は、彼女なりに人生をまっとうしたのか。
「アルベルト!よせ、アルベルト!」店主の声に、振り向くと、男が女の髪を鷲掴みにしようとしている。「お前が悪い!お前が悪い!」、男は、ソウ、何かの呪文のように繰り返して、それでも女に手を伸ばす。店主は、間に割って入ろうとする。それを,きっかけに、女は、男の手を振り解くと、店の外に飛び出していった。男も、店主を振り払って、飛び出していく。通りの、白く光る午後の日差しが、二人を飲み込む。

「ウーララ」そういって、店主は腕を大きく広げてみせて、それからまた、いつもの仕事に戻る。他の客も、普段通りの会話に戻っていった。ここ<パリ18区>では、みんな自分の人生を惜しげもなく見せていた。肉屋は肉屋の顔つきをしていて、街のチンピラはチンピラの人生を見せる。

しかし、彼らが、生きていた痕跡を何かに残す事は、ほとんど無い。時がたてば、忘れ去られる、無名といっていい人々。どこに住んでいたかぐらいは、記録に残ったとしても、その生活ぶりを、後から窺い知ることはできない。私も、カフェを飲み干して、自分の人生に戻ることにした。ところで、女は、アルベルトから逃げ切って、幸せになったのだろうか。



Deux oeurs quise sourient,Tout ca parce qu`ils s`aiment、、、 愛し合っているから 二人は微笑みあう、、、



キュステイーヌ通りに出て、私は、ラマルク・コーランクール駅へと向かう。今日は、午後からマドレーヌで、友人と会う約束だった。5月の通りは、光に溢れていて、フラッシュを焚いたように、白く空虚に見える。私は、鞄からウオークマンを取り出した、イヤーフォンから流れるカンタータが、さっきの男と女のコトを思い出させる。通りには、すでに男の姿も、女の姿も見当たらなかった。

キュステイーヌ通りが、コーランクール通りに繋がる角を曲がって、メトロのあるコーランクール小路へと入った。建物にはさまれた小道は、急に薄暗くなって、カフェには、グラスのぶつかる音や注文を繰り返す声が飛び交い、人々は忙しそうにメトロの入り口に向う。下町の雑多な生活が浮かび上がってきた。

私もメトロの入り口に向かう。
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地下鉄が、いま着いたところなのか、思い思いの格好をした人波が階段を上ってくる。

そのとき、「ムシュー、音楽の仕事をしているの?」、そう、彼女に声をかけられた。

っかけは、他にあったのかもしれない。だが、いまとなっては思い出せない。彼女は23歳で、くすんだ金髪を束ねていた。そのとき、私がデコントラクトな服装をしていて、ウオークマンをしていたから、彼女は音楽関係者だと本当に思ったのか、ただのきっかけの言葉にすぎなかったのか。返事に迷っていると、彼女は「私は、テアトルで衣装の仕事をしているの」と微笑んだ。
柔らかそうな、健康的な肌をしていて、美人の骨格だったが、それよりも生きている意志の方が強く表情にあらわれていて、それが好ましかった。

私たちは、メトロの入り口に立ち止まり、何を話していたのか。ラマルク通りのホテルに泊まっている事、これから友人に会うこと、彼女がブルトン(ブルターニュ出身)であること、、、私たちの脇をメトロに急ぐ人が何人もすり抜けていく、、、要は、私が、躊躇していたのだ。しかし、やっと、私は決心して、「後で、連絡するから、電話番号を教えてよ」と言うことが出来た。彼女は、微笑みながら、手帳を小さくちぎり、メモをつくって手渡してくれた。名前は、ドミニク、、、、住んでいる所は、マルカデ通り、、、電話番号は、、、。、私も、ホテルの電話番号を伝え、別れた。


マドレーヌのカフェに、友人はもう待っていてくれた。しばらく、話していると、友人が紹介してくれる「美術関係者」という、ゲイの若作りの男が、遅れてやってきた。いま、シャワーを浴びて駆けつけてきたという様子で、握手をすると手のひらに男の甘いタルカムパウダーの匂いが残って閉口した。

結局、この「美術関係者」は、社交界にもよくいるコバンザメで、知り合いは多いが、特別、自分自身には政治力も、能力もない輩だった。いわゆる「紹介屋」の類だ。
「また、ご連絡しますから」、私は、話もそこそこに、そう言った。経験から言って、こういう男には、そうそうに お引取り願うのが賢明だ。


その代わり、友人が、ピエール・カルダンが,最近造った、「エスパソ カルダン」というイベントスペースを紹介してくれることになった。私は、ルーブルとはいかなくても、正式な美術館での開催を死守しようと思っていたので、あまり乗り気ではなかった。だが、せっかくの好意も断ることができなかった。友人は、パリの実力者の一人である父親に電話をかけにいった。

友人が、席に戻ると、「親父が、カルダンに電話をかけてくれるよ。明日の午後、エスパソ カルダンのガーデンテラスにいれば、カルダンが来るってさ。俺も一緒に行くよ。明日の2時でどうだ。」、と言った。私は承諾した。それから、友人たちの近況や、スノッブな社交人種の悪口を言い、ロンドンの<アナベルズ>で、最近あった、ハデなケンカの話をし、どうして、またモンマルトルなんかに泊まっているんだ、なんなら、家に来るか、と彼はいった。
友人は、今晩 <カステル>にみんなが集まるからと、しきりに誘ってくれたが、「今夜は、予定があるから」と私は断った。


、、、、、今夜は、予定があるんだ。


人と別れた私は、通りの公衆電話を探す。さっきもらったドミニクの電話番号がかいてあるメモを取り出す。ドミニクはアパルトマンにいた。


「アロー、ドミニク?実は困ったことがあって、君に助けてもらえればと思うんだけど。さっき、カフェでお茶を飲んでたら、隣のマダムのワン公に、ブレザーのボタンを全部食いちぎられちゃってさ。マダムがいうには、僕のボタンが、いつも食べてる犬用のビスケットにソックリだっていうんだけど。で、どうだろう、食事をおごるから、ボタンを付け直してくれないかな。僕のホテルの近くに、魚料理のおいしいビストロがあるんだけど、、」
ドミニクはクスクス、素敵な声で笑った、そして、「わかったわ。8時に迎えに来て。、、場所はわかる?」といった。私は、多分、わかると答えて、電話を切った。


私は、ビストロに念のため、予約をいれて、それから、シャンゼリゼにでて、<クリード>で、オードトワレを調合してもらい、いくつか調べ物をして、タクシーでホテルに戻った。

シャワーを浴びて、ミッドナイトブルーのスーツに着替える。ビストロだし、パリ風にネクタイはしなかった。マルカデ通りは、キュステイーヌ通りの一本、裏で、彼女が住むアパルトマンは意外に簡単にみつけられた。通りは、思ったよりこざっぱりしていた。

ドアにはりつけてある、古びたプレートから、彼女の名前を選び出す。呼び鈴を押すと、ドミニクがでて、下に降りるからと短く答えた。現れたドミニクは、シンプルなウールジャージーの黒のワンピースに、ショールを羽織っていて、美しかった。
「あら、ボタンは付いてるのね」と、彼女は言った。それに答えるかわりに、頬にキスするとき、耳元で「ワン」と小さく吠えてやった。ドミニクは、良い匂いがした。本当は、キスをするとき、その柔らかな耳たぶを噛んでやりたかった。


ビストロは、ラマルク通りの坂の途中にある。二人で手をつないで、歩くことにした。
5月の宵は、陽光から夕闇へとかわる、ちょうど境目で、はじめてのデートをする恋人たちにはふさわしかった。
キュステイーヌ通りから階段を上って、ラマルク通りへと抜けるとき、突然、風が吹いて樹々が乾いた音をたてた。


夫婦二人でやっているビストロの料理は飾り気がない分、誠実で、美味しく、彼女はクスクス笑い、幸せな時がすぎていった。

そのとき、私たちは何を話したのか。記憶は、歳を重ねる毎に、曖昧になり、断片的になる。

私は、バスルームに行くフリをして、ホテルに電話をいれた。なにしろ、旧式のパリの宿だった。本当は、映画のゲーリークーパーのように、なじみのフロントに、部屋にシャンパンと小さな楽団でも手配させたい気分だったが、いつもの定宿にしなかったことが、いまさら悔やまれる。

宿を取り仕切っていたマダムは、帰りが遅くなるか、もしかしたら今夜は戻らないと伝えると、不審がって、なかなか理解してくれない、あきらめて正直に、いまガールフレンドと一緒なんだと伝えると、「ウーララ、わかったわ、頑張ンなさい」とあっさり、理解してくれた。パリはアムールには寛大だった。


私は、その夜、彼女の小さなアパルトマンに泊まった。



joli fruit,,,,美しい果実


翌日、エスパソカルダンのガーデンテラスで、友人と軽食をつまんでいると、向こうから、カルダンが王様のように歩いてきた。

このフランスいち金持ちのデザイナーは、しかし、才能の人だった。

カルダンは、思いのほか、若い私たちに親切で、丁寧な口調で話してくれた。私たちは、話が弾んだ。最近、彼が発掘した20歳の美男の小説家のこと(どこか、コクトーとラデイゲを思わせて、気になったが)、そして、彼の右腕である日本人女性に会うことを薦めてくれた、電話をかけておくから、今日にでも、ブローニュの森の彼女の家に行くように。

緑深い、ブローニュの森の、その家には美男子ばかりのバトラー兼秘書が4-5人はいて、年配の日本人女性は女王のように傅かれていた。リビングには、フルコンサートピアノがおかれ、やはり、ハンサムな男がラフマニノフを弾いていた。
その中で、彼女は書類に眼を通し、次々に仕事の指示を出していた。

森の中の家は、秀麗といってもよく、木の床は良く磨きこまれ、黒く光っていた。男の弾くラフマニノフも、劇場で聞いても遜色のないものだった。私は、なんだか、鬼気せまるものを感じた。書類は散らばり、モダンアートの秀作はただ、壁に立てかけられただけで、雑然さはあったが、生活はなかった。ここは、家というよりは、司令塔のような気がする。そして、強い美意識の、何か果てのようなものを感じた。

女性は、ハッキリと趣旨を聞き、的確なアドバイスをくれた。それは、上面をなぞるようなものではなく、具体的で、経験と人脈からでた鋭いものだった。
カルダンにしても、この女性にしても、若くとも才能のあるものには門戸を開こうという強い意思を感じた。
自分たちは、仕事を成し遂げたが、年老いていく。何か、自分たちには、思いつかなかった、美しいものを見せてくれ、、、美に対しては貪欲なのだ。

あまり知られていないが、彼女は日本人、ただ一人のアンリ・カルテイエ・ブレッソンの弟子だった。帰りがけに、自分で撮った写真をカレンダーにしたものを、わざとぞんざいな言い方でくれた。その写真は、パリの風景や、暮らしがモノクロームで切り取られたもので、白黒の風景写真ということで、ブレッソンの影響が強くみえそうになるが、そこには、彼女の確かな視点があった。いわゆる、書でいう「書相」があった。



Toi qui m`aimais , Moi qui t`aimais,,,私を愛していた君、君を愛していた私、、



展覧会の会場は、結局、レアールの再開発で出来た、「パビヨン デ ザール」というモダンな美術館に落ち着いた。

仕事が進展していくのと歩調をあわせるように、ドミニクとの関係は、日増しに深まっていった。


私は、時には彼女が働く劇場に迎えにいき、二人して夕食を一緒に摂り、夜のセーヌを散策した。幾つかの橋には、私たちの名前が、小さくボールペンで刻まれているはずだ。レアールの、その美術館には、下見も兼ねて、一緒にスキャパレリ展を見に行った。日曜には、チュルリー公園の移動遊園地で、子供のように遊んだ。装飾美術館は、二人のお気に入りだった。


しかし、私が日本に戻る日は近づいていた。


出発が、明日に迫った日、私とドミニクは、いつものカフェで待ち合わせた。最後の一日をどう有意義につかうか、相談をすることになっていた。 なかなか、行く先がきまらない。
迷ってるうちに、どうしたわけか、彼女が不機嫌になり始めた。
いったい、いつパリに戻ってくるの、、すくなくとも1ヶ月先かな、仕事の準備があるし、、、それは、何度も話し合った事だった。
あなたは、ズット日本にいるの?パリで仕事をみつけたら?あなたには、できるわ。お友達も多いんだし。私も、劇場をやめて、メゾンで働くわ、、、
ドミニク、それは無理だよ、僕は日本人だ。それに、すぐ戻ってくるさ、、、だが、彼女は、納得しなかった。働き者で、一途なところがあるブルトンの血が現れる。
しばらく、諫った後、彼女は突然立ち上がり、店を出てしまった。


私は、思わぬ展開に呆然とし、しばらく彼女の後姿を目で追うだけだった。彼女のシルエットが逆光で浮かぶ。

私は、アルベルトのように、すぐに彼女を追いかけてやることができなかった。

しばらく、間をおいて、それでも私は、のろのろと椅子から立ち上がる。勘定をしようとポケットをまさぐるが、うまくコインが出てこない。店主は、さっきから察していたのか、勘定はいいから、早く追いかけろと手と目で急かす。私は、やっと正気に戻り、通りに飛び出した。

5月の光が、目に一杯飛び込んできて、私は方向を見失う。最初は、すぐ追いつける、どう取り成そうと思っていたが、キュステイーヌ通りの、偶数番地側にも奇数番地側にも彼女の姿が見当たらない。角を曲がって、彼女の家の方向に向かってみる。やはり、姿はない。家の前までいって、呼び鈴を何度も押すが、応答はなかった。


私は途方にくれた。



そのとき、私は何故か、ホテルに戻って、彼女に電話をいれようと思った。

ドミニクが怒るのも無理はない。若い私には、相手の思いを配慮することに欠けていた。いまとなっては、自分の傲慢さが恥ずかしい。しかし、その時はまだ、電話であやまれば何とかなると信じていた。  結局、私は、この街の一員には成れなかった。


ホテルへと、ラマルク通りに抜ける階段を急いで上っているとき、この前と同じように、風が樹々を揺らして、乾いた音をたてた。それは、どこか彼女の笑い声を思いおこさせて、私は、思わず振り返った。

しかし、階段の下には、人影はなく、陽光に照らされた空虚な空間が、ぽっかりと口を開けているだけだった。


Tu vois je n`ai pas oublie,,, ほら、私は 忘れていない、、、


それから、一年と半年ばかりがたち、私は、チュルリー公園近くのパリの定宿にいた。あれから、私はいつもどおりの生活に戻り、新しい女友達もでき、友人たちとスノッブなナイトクラブに出入りし、あれほどイヤがっていた30間近になっていたが、何も変わっていなかった。


美術展のファイルを調べていると、書類の間から、いつかドミニクが、メトロの入り口で手渡してくれた手帳の切れ端が零れ落ちた。


名前はドミニク、、、住所はマルカデ通り、、、電話番号は、、、


私は、気が付いたとき、すでに電話番号の幾つかをダイアルしていた。呼び出し音が鳴る間、私はドキドキしていた。何を期待していたのか、何を期待するのか。


呼び出し音の7回目が鳴り終わる時、しかし、私は、受話器を戻すことにした。ゆっくりと。戻す刹那に相手が出たような気がして、あの懐かしい笑い声が耳元に思い出された。


結局、臆病な私は、それが自分の傲慢さだと気づくのに、人生の半分を費やした。


、、、どの旅の思い出もまざりあい、手触りを失って、都合の良いノスタルジーへと姿を変える、、、



copyright 2005 Ryuichi Hanakawa
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by rikughi | 2005-05-24 00:23 | モンマルトルの恋人