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私家版・サルトリアル ダンデイ 「19世紀と20世紀」 その参




「眠りにつくときに、翌朝、目覚めることを楽しみにしている人間は、幸福である。」
(哲学者ヒルティの言葉)





「優雅なる無関心」





公は、ホーズ&カーテイスでシャツをつくる際に、シャツ生地で、幾つもボウタイを作らせている。コレを、春夏のスーツに、よく合わせているのだが、タイではなくて、コットンのボウタイなのが、品の良さと、不思議に軽やかなカジュアル感を醸し出して、秀逸な着こなしだと思う。

写真で見る限り、公のボウタイの結び方は、デインプルをつくらない、ナチュラルな結び方で、これは、気取りのない優雅さを感じさせる。
ウインザー公が、「ウインザーノット」でタイを結んだことは、生涯なかったというのは、有名な事実だが、タイも、デインプルをつくらない、シンプルなプレーンノットかダブルノットだった。
面白いことに、少年期や青年期の初め頃には、キチンとタイを締め上げて、公は写真に収まっている。それが、ウインザー公としてのスタイルが出来上がるとともに、結び方も変わっていく。

そこには、公の内容の変化があったはずなのだが、そう言えば、公がどういう人物なのか、最後には、どういう人物として、死を迎えたのか、そういう、公の内面を示した記述は、資料を探ってみたが、意外に少ない。





「スタイル」というものが、人の内面と密接に関係するとすれば、そもそも、ウインザー公なる人物は、いかような人物だったのか?





ダヌンツイオの「スタイル」なら、察することができる。それは、多分、「懐古的なエレガンスへの憧憬」と「ロマン的な英雄崇拝」から生まれたものだと思う。
事実、ダヌンツイオは、そういう人生を送ろうとしたし、ある意味、そういう人生を生きたと思う。敬愛すべきは、その「スタイル」の軸は、少なくとも、自身の内で完結し、生涯、ぶれることはなかったということだ。

翻って、ウインザー公の内実を、推測した時、奇妙な空白感を覚えるのは、何故だろう?






「王位放棄」後の、公の「政治活動」としては、幾度かにわたるドイツ訪問と、「有事の際(ヒットラーによるイギリス占拠ということか?)」には、英国の交渉窓口は、唯一ウインザー公とするという、ヒットラーとの、イノセントな「密約」ぐらいなもので(公の行動を不穏に思ったチャーチルによって、第二次大戦中は、バハマに総督として「幽閉」される。)、公が明確な意思を持った政治的人間であったとは思い難い。

また、或る夜のデイナーで、同席した紳士によると、公の話題は、カントリーハウスのガーデニングに終始したという。

また、乗馬や、狩猟など、公は、意外(?)にスポーツ好きで、特に、乗馬の障害競技を好み、落馬による、2度にわたる骨折を心配した家族をしりめに、障害競技をやり続けたという。

また、ウインザー公の回想録を読むと、やはり、それなりに興味深いが、一人の男の人生としては、どこか、生々しさに欠けるような気がする。翻って、「ウオリス・シンプソン」の生涯を考えれば、それは、一人の女性の生涯としては、かなり生々しく、ドラマチックだ、、、




こうして考えていくと、思い浮かぶのが「優雅なる無関心」という言葉だ。

ソサエテイーにおいて、最もエレガントとされるのが「優雅なる無関心」という態度で、これは、幼少時より、徹底的に教育される。しかし、今の時代に、この態度を、正確に説明するのも、実感として納得するのも、難しいと思う。

ここでいう、「無関心」という範囲は、物事に動じないというだけではなく、有事にあっては、自らの危険や死も意に介さないという所までをも含む。といって、「勇猛果敢」とか、「厭世観」とか「ニヒリズム」というのとも違う。自然に体が向かうというのが正解で、武士道とは、根本的に違う。


それは、「哲学的」なものではなく、身体に近いものなのだ。


これに、「優雅なる」という形容詞がつく所で、これは、モウ、付け焼刃では適わないことがわかる。これは、意識して身に着けるというものではない。



ウインザー公の人生に、スタイルがあるとすれば、それは、この「優雅なる無関心」に他ならないだろう。そういう意味では、前代未聞の「王位の放棄」は公のスタイルにおける頂点であり、それ以降は、一種の引退生活であったのだろう。




セシルビートンの言によると、戦後、公の表情には、しだいに、自身の「人生の空虚さ」への苛立ちがみえはじめたという。
「ウインザー公は、首を仰け反らせながら、無防備に笑うんだ。まるで、狂犬病にかかったテリアのように。」、、、

陽光ふりそそぐ、南仏の公の広大な別荘「La Croe」の毎日も、公の気分を安らがせはしなかったようだ。公は、落着きがなく、「失われた日々」に縋りつくように、日中はテラスで、バグパイプを奏でることが日課だった。そして、その物悲しいウエールズのメロデイーは、デイナーの合図まで続いた。


d0004856_18103981.jpgしかし、誰もが認めるところだが、それでも、公の生来のチャーミングさと、ある種のグラマラスさは消えなかった。それは、公に染み付いたもので、意識するとか、しないとかではなく、ウインザー公という存在そのものだった。
それこそが、公の「優雅さ」であって、それは、悲しいことに、人生の充足感とか、そのようなものとは別のところにあった。




私は、公のスタイルを、最も理解していた一人は、フレッド・アステアだと思う。聞くところによると、アステアは、ロンドン公演の際、楽屋を訪れたウインザー公の装いの、エレガントな「軽さ」に敬服したという。それで、さっそく、ホーンズ アンド カーテイスに駆け込み、公と同じ衣服を注文しようとしたが、ホーンズ アンド カーテイスは、これを丁重に断った。

結局、アステアは、アンダーソン アンド シェファードで、背広を作り、アンダーソン アンド シェファードは、アステアのおかげもあって、それ以降、サビルローでも、最もアメリカ人顧客の多い、米国の流行を追う特異な存在となる。


アステアが、仕立て上がった背広を、一度、壁にたたきつけてから着たという風説は、本当かどうか知らないが、アステアは、それ以降、「エアリーエレガンス(空気のように、軽やかなエレガンス)」と称される、ハリウッドでもダンデイとして知られるようになった。


この「軽やかさ」=「優雅なる無関心さ」というのが、エレガンスの本質だと見抜いたところが、さすが洒落道楽のアステアといえる。

実際、公の装いは、靴下に至る細部まで選び抜かれているが、といって「シリアス」さが無い。それは、公自身の人生のように、客観的には、波乱に満ちていながら、重苦しい現実の「シリアス」さからは、無縁なように見える。


極論すれば、公がどのような服を着ていようとも、或いは、自身の置かれた立場を、いまさら嘆いていようとも、多分、公は軽やかに、エレガントに映るようにさえ思う。

それは、拭いきれない「染み」のようなものだ。

「身についたエレガンス」というのは、良い仕立ての服を着続け、そういう生活を送り続けなければ身につかないが、かといって、金がかかった服や生活が「エレガンス」というわけでもない。

結局、そういったものがどうでもよくなって、それでも、そういう生活を、無作為に送り続けているうちに、それは、「染み」のように、ポツポツと現れてくるような気がする。
これを、別の角度から説明しているのが、「鬼火」で、この映画のモーリス・ロネをみたとき、コレは、ウインザー公の一変形だと思った。
この「エレガンス」のあり方は、極めてヨーロッパ的で、ある種の「クラス」にしか存在しないものだ。

この監督(ルイ・マル)は、どうして、コンナ映画を撮りたい思ったのか。筋としては、ナイーブすぎて、見る方が、かなり、のめり込まないと成立しないと思うのだが。しかし、確かに、昔は、こうした、無防備な「染み」のようなエレガンスを持った男がいた。


こうして、考えていくと、本質の「エレガンス」というのが、論理よりも身体に近いもので、意図するものではなく、より無意識にあるものだと分かってくる。そして、大袈裟にいえば、場合によっては、健全な人生を狂わせかねない「厄介な」ものでもあるような気がする。


多分、「ダンデイズム」というものも、ボー・ブランメルの最期をみるまでもなく、そんなモノなのだと思う。







しかし、アステアが、時折、ストライプのスーツにボタンダウンのシャツを合わせているのは、ホーンズアンド カーテイスへの彼なりの返答だったのだろうか。






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by rikughi | 2007-05-03 14:48 | 3.19世紀と20世紀 その参