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「私のワードローブから」 1 ソックスをめぐる ダンデイズム 



「ソックスは、足元のネクタイと心得るべし。」

(百歳堂 敬白)


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「失われたソックスの贅沢」


、英国に、黄色い靴下しかはかないことで、有名な貴族がいた。亡くなったとき、遺族は、彼が愛した黄色いソックスを、棺おけいっぱいに 詰めて、冥福を祈ったという。天国でも、変らず愛用できるように、、、。


「靴下は、トラウザーズの色に合わせる」というのが定説だけど、それだけではツマラナイ。


、、、ウインザー公のように、茶がはいった プリンス オブ ウエールズ柄のスーツには、これも茶とネイビーのハウンドツースのソックスをはきたい、夏のシアサッカーのカジュアルトラウザーズにはホリゾンストライプのソックスが素敵だろうに、、、、それも、コットン100%で、ロングホーズが好ましい、、、、

しかし、いまや男が、ソックスに我侭をかなえることは、かなり難しくなっている。 特にわが国では。

正統的なメンズエレガンスの全盛期というのは、50年代以前といわれるが(それほどサイケデリックやヒッピームーブメントが、「あり方」を変えるほど強烈だったということか)、ソックスほど 当時のほうが、デザインも質も豊富だったアイテムはない。



「スーツの着こなし と ソックス」


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イビーストライプのスーツに、ダークネイビーの靴下、黒のオックスフォードというのは、見慣れているだけで、さほど「素敵な組み合わせ」とは思えない。

例えば、右の二人のジェントルメンの着こなしは、いかがだろう。

ネイビーストライプのスーツに、濃い青のクレリック、エンジか赤のドットがはいったタイに、ソックスは茶か、少しエンジのはいったもの、それに茶の靴。

タイのドットのエンジと、ソックスと靴の茶が、大人の「ほどの良い」リラックス感をうみだしているように思うのだが、、。

その横のグレイフランネルと思しきスーツの紳士も、ともすれば同色のグレーのソックスに、黒のオックスフォードという、当たり障りの無い組み合わせにしてしまいがちな所を、白とネイビー或いは濃いブラウンの千鳥格子のソックスに、多分、スエード(スタッグか?)の茶の靴をあわせている。いかにも、リラックスした旅仕度という風情で、素敵ではないか。


組み合わせの妙味、、、スーツの着こなしというのも、クリエイテイブなもので、それが、その人の「人相」を図らずも表すものだと思う。


いいかえれば、人目を気にせず、「楽しめ」ば良いのだと思うし、逆にいえば、その結果、心地よい「楽しさ」が人目に感じられれば、その人はエレガントに映ると思う。地味でも、派手でも、ナンダカ、切羽詰ったような着こなしは、カッコ悪いと思うンです。そういう人にかぎって、人目を気にしている。


この「ほどの良い」 趣味の良さと、余裕をもって「楽しんでいる」着こなしのために、足元のソックスは 意外と、大切だと思います。


ところが、無地のものはともかく、柄物で良いものを探そうとすると難儀をする。


ロンドンのバーリントンアーケードにあった「ロード」という店には、本格的なシェットランドウールの深いグリーンのものや、アーガイルのハンテイング ロングホーズがあった。この店は、品揃えが大人向けで、ポケットスクエアもペイズリーや柄物の良いのがあって、重宝していたのだが、残念ながら閉店してしまった。(「ロード」は、一角獣がトレードマークで、ドレッシングガウンが豊富だったり、シルクのロングホーズとか、ヘチマ衿のついた昔風のカーデイガンジャケットもあって、ちいさな店だったが、いかにも英国的だった。地下には、グレンソンの靴を揃えていたっけ。)


d0004856_1181027.jpg30-40年代の「ESQUIRE」をみると、毎号、裏表紙に「INTER WOVEN」という会社が、ソックスの広告を掲載している。これが、秀逸です。







<男の靴下 おススメ ショップ>

ドミニク フランス(パリ)  日本では オジサン臭いネクタイのイメージがあるが、 パリの店は優秀なクロゼリエです。 ここでは、無地のもの(微妙なミックス柄になっているものがある。)、特にネイビーのものは、ここのが薄さも、色も良い。 数がまとまれば(トんでもない数ですが)好きな色でオーダーできる。

ラデイコンチーニ(ローマ) もとは、ローマ最古の帽子屋。 タイや、靴下などもある。同じ色でウネがあるものと ないものを揃えているのが良い。 あと、夏のリネンの靴下は どこよりも履き心地が良いと思う。

クニーシェ(ウイーン)    冬、寒い地域なので、なんといってもカシミアとシルクの混紡のロング ホーズが秀逸。シルクがはいっているので、思った以上に丈夫で、薄さも良い。グレーのバリエーションも揃っている。エレガントな店は、グレーとブルーのバリエーションが豊富なのです。



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by rikughi | 2005-03-29 00:30 | 1.ソックスをめぐるダンデイズム

「UNNOTICE」と「VISIBLE」 ボニのスタイル  ー ボニ・カステラーネ侯爵 5



           彼は人を感動させ、感激させたというよりも、驚かした。
           とりわけ、驚かしたのである。
                  (ボードレール 「エドガア ポオ 雑稿」より)




d0004856_8201232.jpg「UNNOTICE」

「男の服装は、UNNOTICE(目立たない)であるべきだ。」 ボー・ブランメル以来、コレが、紳士の服装の不文律とされている。

ハタシテ そうなのかナ。

思い出して欲しいのは、この時代の宮廷の男たちの服装というのが、例えば 真紅のコートに緑のウエストコートという風に、かなり華美であったということだ。なかにはダイヤをちりばめた衣装をつくる者までいた。
それゆえに、ブランメルが提唱した、「UNNOTICE」=黒づくめに白いシャツという服装は、その時代においては、ひとつのアンチテーゼであり、充分にショッキングで、革命的だった。

そして、革命的という もうひとつの理由は、「UNNOTICE」という言葉が、服装を鍵として、紳士(男)の「あり方」を定義してしまった感があるからだ。

服装史においても、このコンセプトの登場から女性服と男性服との区別が、より明確になってきたとも思えるし、

男は目立たぬ「趣味の良さ」を追求し、女性は「美」を追求するという、社会化された常識が定着し始めたようにも考える。

おかげで、地味だが仕立ての良い服こそ「男」の装いだというトラウマに、男たちは閉じ込められ続けることになるのだが、、、。


「ダンデイズム」というのは、オスのライオンの鬣(たてがみ)のようなもので、メス(女性)や他の動物(自分以外の男)と自分を「区別する」ことに意味がある。美しいけれど、余分なもので、見方によっては、ときに痛々しい。

ブランメルの「UNNOTICE」も、いまの時代の捉え方とは、少し違って、その時代の華美な服装のなかでは、充分に自分を他者と「区別する」もので、それを意図したものと窺える。

しかし、ブランメルの本来の個人的意図はともかく、いまや「UNNOTICE」というのが男の服装の良識となってしまったのは事実だ。


「VISIBLE」

その 「良識」の一方で、陽気で 「VISIBLE」(目立つ)な装いを楽しむダンデイ達がいる。
こちらの方が、本来の意味では、ブランメルの子孫といえるだろう。

ボニのスタイルは、「VISIBLE」であった。しかし、「Loud」(派手)ではない。


この項つづく
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by rikughi | 2005-03-29 00:28 | 「ダンデイというスタイル」

「エスプリ」と「ユーモア」その2-ボニ・カステラーネ侯爵 4




d0004856_1233060.jpgボニは、フランス貴族には珍しく、たくましいユーモアのセンスの持ち主だったと思う。 それは、彼の後半生をみるとわかる。


ボニが39歳のとき、「第二の転機」が訪れる。 ー「離婚」である。

使い切れないはずの巨額の資産は、ケタはずれの浪費のおかげで、ほとんど食いつぶされていた。父君の助言もあったのだろうけれど、アンは、ボニに三行半を、突きつけた、
一夜にして、ボニは一文なしになった。後に残ったのは、借金と3人の息子たち。

実は、私が、ボニを敬愛するのは、ここからの、この人の生き方にある

ボニは、 はじめて、 自分で稼ぐということを学ばなければならなかった。

、、、、こうした場合、大概、結末は悲惨なものと決まっている。
社交界の「王」と呼ばれた男、 ひと夜のパーテイで、いまの金額にして 数億を使い切った男、、、 よく出来たとしても、友人からの借金に次ぐ、借金。末は ダヌンツイオのように 債権者に追い回される毎日。


しかし、ボニは 生き抜いた。


もとより、才知に長け、クリエイテイブ力のあった人だ。 ジャーナリストとして、本を著し、趣味の良い アンテイークデイーラーとして評判を呼ぶ。 そうした 新生活に 自分をなじませようと努力もする。

そして、数年で借金を返し終わり、 パリのアパートを人に貸すまでにいたる。

敬愛すべきは、その間も、いままでと 微塵も変らない 楽観的で エレガントな もの腰とユーモアのセンスを保ち続けたということだ。


ワイルドや ボードレールのように 内面に突き刺さっていくような ダンデイズムではなく、ボニの それは、健全で ある意味、骨太で 男子の一生としては  これを、本当のダンデイズム、エレガンスと とらえたい。

「社交界の王」としての輝きは、失ったが、晩年のボニは、幸せそうに写真に納まっている。形の良い卵型の頭蓋骨をもった 「エンジェル フェイス(天使のような顔)」と呼ばれた青年は、幾分ふっくらとしているけれど 変らない 「ボニのエレガンス」を持ち続けている。  

ちなみに、1920年に 彼が著した本のタイトルは 「ART of being Poor」だった。












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by rikughi | 2005-03-27 01:10 | ボニ・カステラーネ侯爵 4.

「エスプリ」と「ユーモア」 その1-ボニ・カステラーネ侯爵 3




d0004856_23584873.jpgパトリス・ルコント監督に「言葉、或いは会話(エスプリ)」を題材とした、興味深い作品があります。


田舎の貴族が、領民の苦労をみかねて、沼地の干拓費用を陳情しに、ベルサイユへと向かう、しかし、そう簡単に陛下の謁見など 田舎者に かなうはずもない。

そこで、遠縁の貴族に、先ずは社交界への紹介を頼む。頼まれた、冴えない、その貴族は、不承不承、聞き入れるが、「社交界では、エスプリというものが 大事なんだよ。 田舎出のお前に、それができるとは思えんがね、、」

ところが、田舎貴族には、生来の 類まれな「エスプリ」の才知があった。 周囲に、ねたまれつつも、評判を呼び、ついには、陛下の謁見を賜るのだが、、。(後のストーリーは、映画を見てください。残念なのは、翻訳がチョット、、、ー日本語に訳すのも難しいとは思うのだけどー 、そのせいで、実際の会話のエスプリの面白さが半減しています。)


「エスプリ」というのは、会話のなかで、ユーモアを含んではいるけれど、チョット、毒のある切り替えしをする。ーといったところでしょうか。

簡単に言えば、「意地悪」とみせかけない、「いじわる」。それの、ウイットある表現。
周囲の笑いを誘うが、その的になった当人は、うまく、これも エスプリを持って、切り返せなければ、なんだか、負けた気分になる。、、、いかにも、パリ風でしよう。

対して、 ユーモアというのは、逆境の状況でも、それを笑いの種として、周囲をなごませるもの。

ひとつ、試しに、ヤってみましょう。 、、、 (ちなみに、これは実話です。)

  子供が、友人たちと、川でボート遊び をしていた。
  あんまり夢中にハシャイだので、気がつくと、腕にはめていたはずの時計がない。
  それは、この間、父親にもらったロレックスのボーイズサイズだった。「父さんは、
  上等なんダゾといってたのに。」

  子供は、半泣きになって、家に帰って、恐る恐る、父親に言った、
  「ゴメンなさい。 パパにもらった時計を、川のなかに落として、なくしちゃった、、、」
  父親は、一瞬、驚いた顔をしたが、
  こう言った、     「心配スルナ。アレは、防水だ。」



ボニは、フランス貴族には 珍しく たくましいユーモアのセンスの持ち主だった と思う。
それは、彼の後半生を みればわかる。

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by rikughi | 2005-03-24 23:16 | ボニ・カステラーネ侯爵 3.

ベルエポックのパリ社交界 ーボニ・カステラーネ侯爵 2




d0004856_98359.jpgボニが活躍していたベルエポックのパリ社交界は,類、稀な栄華を誇っていた。

当時、パリには、王室も、皇室も革命以来、存在していなかったから、
社交界の重鎮はサロンを開き、社交人種は、どのサロンに出入りしているか、或いは出入りできるのかで、値踏みされた。また、同時に、サロンの当主は、そこに集まる社交人種の質で、これも、値踏みされた。
加えて、この時代、マスコミが認知され、力を持ちはじめていた。社交人種の一挙手一投足は、毎朝、報じられ、評論された。

自ずと、サロン文化は磨かれ、社交人種も、また切磋琢磨をせざるを得なかった。

第一次大戦の勃発までの、短い期間ではあったが、こうしてパリの社交界は、独特のオーラを放っていた。しかし、大戦後、二度と、この魅力は戻りはしなかった、すべてが様変りしてしまった。




ボニが30歳のとき、「最初の」転機が訪れる。 ー 「結婚」である。

花嫁は、アメリカのゴム王と呼ばれたジェイ・グールドの娘 アンだった。

使っても使い切れないほどの巨額の資産を得たボニは、社交界のリーダーとなる。

もとより、ボニは、類のない 趣味の良さを持った人だった。絵画の優れたコレクションをつくり、城を買い、船上パーテイの出来る素晴らしいヨットを注文し、外壁がピンクの大理石で覆われた、秀麗なパリの住居「バレ ローズ」をつくる。
そして、パーテイ、、、、それもケタはずれのスケールのパーテイの数々、、、、

最も有名な、デイナーパーテイは ブローニュの森に 150人の「近しい友人」と4千人のゲストを招いて開かれた。
そのとき、ボニは200人のオーケストラとともに、オペラバレーカンパニーを、その一夜のために雇い入れた。森の樹々には、8千個のグリーンのベネチアングラス製のランプが灯され、10マイル(16キロメートル)にわたって、カーペットがしきつめられた。


これが「個人」のパーテイである。このとき、ボニは、まさしく パリ社交界の王だった。





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by rikughi | 2005-03-23 09:09 | ボニ・カステラーネ侯爵  2.

ダンデイ というスタイル -ボニ・カステラーネ伯爵 1




d0004856_1262215.jpg7月のパリ。

ミラノからシャルルドゴールに、深夜、着いた私は、出迎えの車でチュルリー公園近くのホテルに向かってシャンゼリゼを走っていた。
夏のパリの夜をドライブするのは、好みのひとつだ。 
できれば、こんなジイサンくさい車ではなく、夜風をヒリヒリ感じることができるオープンが好ましい。

もう、30年近く前、友達が当時パリでは珍しかったえび茶のフォードムスタングをもっていて、二人で夜の街を徘徊していた。ただ、それだけで、今日一日がウキウキしたものになった。

パリの街とムスタング。 

赤いフェラーリより かえって趣味が良いと思うのだけど。

いまの歳ならば、ピカピカ光った鯨のような古い型のキャデラックか。


パリは美しいけれど、街も、人も、社会も 思っている以上に保守的で古臭いので、
いかにもヨーロッパ的なもので 統一するより、アメリカ的なもの、或いはエスニックな風味という、少し「異国を感じさせる」コーデイネイトのほうが よりシックに映ると思う。


このことは、パリジャン、パリジェンヌも よくわかっていて、30年代のジョセフィン・ベーカーやジャズブームから、近年のワールドミュージックまで、パリほど異国の血に 包容力のある街は珍しい。

ベルエポックのパリでは、音楽や風俗だけならいざしらず、 花嫁までも メイド イン アメリカがもてはやされた 時期があった。

それは、好み だけではなく、彼女達がもっていた 富裕な財産が その大きな理由だった。


d0004856_2191644.jpgボニ・カステラーネ伯爵(のちに侯爵)。彼も、また 富裕なアメリカ女性を娶った一人だった。

1867年,フランスでも有数の名家に生まれたボニは、青い目にブロンドの痩躯、洗練されたマナーと 溌剌として優雅な立ち居振る舞いで いやがうえでも 人を魅了した。

或る日のボニについて、こんな記述がある、

 「突然、広場に見事な手綱さばきで馬車が乗り込んできた。 馬車には、紳士と麗しき貴婦人の二人。 紳士のいでたちが目をひいた。素晴らしい仕立ての純白のモーニングコートを着て、ラペルには真紅のカーネーションをさし、これも燃え立つような赤のシルクのタイをフォア イン ハンドで結び、純白の フェルト製のトップハットを被っていた。 彼の スラリと伸びた手は 白のデイアスキンの 見事な手袋でおおわれ、象牙のステッキを握りしめていた。」

ボニの伊達振りが 目に浮かぶようだ。
フランスでも最古の貴族の ひとつといわれる血統と、このダンデイ振りで ボニはベルエポックのパリ社交界の寵児となる。





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by rikughi | 2005-03-21 01:27 | ボニ・カステラーネ侯爵 1.

スタイル




日ほど、「スタイル」という言葉が濫用され、また欠如している時代も珍しい。

「スタイルとは、持っている人はもっているし、持っていない人はもっていない。 ーただそれだけのことなのだ。」 とは、60年代から70年代の上流社会を辛口で活写したタキの言葉だ。

タキ自身が、スタイルのある「プレイボーイ」だった。

このエッセイで、タキは、こうも言っている。
「スタイルの特徴は、深みのある人格が知らず、知らずのうちに滲み出し、なにもしなくても、周りの関心を集めだす、、、という点にある。」と、、、


は、スタイルとは生き方の問題だと 思う。


人種や年齢によらず、いろんな人にめぐりあった、自分の経験からいわせてもらえば、人間というのは 生き方によって 死ぬまで成長もできれば、つまらない、不平だらけの人間で終わってしまうこともある。

スポーツでは、その技術や、才能とともに、精神的な強さが、大きな評価にあげられるが、生き方もまた、かなり、強い信念がないと 後で悔やむことになる。  d0004856_1175675.jpg




スタイルのひとつに「ダンデイ」というのがある。

これは、誤解を多く含んだスタイルで、決して誉め言葉だけではないように思うのだが、男子である限り、この言葉に惹かれれるところがあるのは、正直、皆さん、いなめめないと思う。

偏見かもしれないが、女性の皆さんには、何故、男がダンデイに憧れ、多少なりとも、そうならんと、努力するのか、理解しがたいところがあるのではないだろうか。

「ダンデイ」を、近代化したものに、「プレイボーイ」があるが、こちらは、もっと、もっと、誤解を含んでいる。日本では、特に。

この言葉が、わが国に、輸入されたときの時代背景にも、その因があったのだろうけれど、マスコミの捉え方が表面的に終始してしまって、概念のない、単なる「女たらし」の同義語となってしまった。、、、この説明は、手間取ると思うので、また後でゆっくりと。

先ずは、ダンデイたちに会いにいきましょう。

彼らこそ その一生を 「楽しむ」ことに「浪費」した 稀な存在なのです。 







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by rikughi | 2005-03-19 02:10 | 1. スタイル

人生が2度あれば






半世紀も生きていると、そろそろ 自分の死について 考えるときがある。
子供のときに感じた、やみくもな恐怖感というのは、もう ないけれど、それでも、やるせない気分は残る。

いままでの人生に、悔いがあるかというと、幸せにも それはない。ハッピーな事も、アンラッキーな事も含めて、案外、楽しませてもらった方じゃないかと思う。


人生が2度あれば、、、、、魅力的なフレーズだけど、一度で充分と思いたい。

まだまだ、 いや、  これから  もっと  楽しみたい。

ただ、人生を楽しむためには、一種の技術というか、クリエイテイブ力が 必要なのではないかと思う。これは、けっこう、力と知恵がいることなのです。

この「ウエブエッセイ」では、あくまで 個人的な経験と趣味にもとづいた「楽しみ方」を ご披露できればと 思います。
途中、脱線と、あくまで趣味的なのはご容赦のほどを、、、

プロローグは、なんだか説教じみてしまったけれど、後は楽しくやります。

人生は一度だから。













copyright Ryuichi Hanakawa 2005

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by rikughi | 2005-03-18 00:52 | プロローグ