<   2005年 04月 ( 7 )   > この月の画像一覧

「百歳堂 散策日誌」  サイケデリック 2  ウイーンの仕立て屋



d0004856_21491387.jpgウイーンは東欧のパリと呼ばれていた。

この街では、いまだ、小指にシグネットリングを嵌めた者が優遇され、ボール シーズン(舞踊会が催される頃)になると、街のテーラーは、テイルコートの注文を片付けるのに、大忙しとなる。

ヨーロッパの他の街が、観光地化され、ハイスピードの資本主義に飲み込まれて、同質化していくなかで、この小さな街は、昔気質のままを頑なに守ろうとしているように伺える。

この街の骨格となる「エレガンス」というのは、少しヒンヤリとしたもので、 他の街が失くし始めた極めて「ヨーロッパ」的な社会、というモノが、まだ、生き残っているように思う。

つまり、この街は、観光客向けの外ヅラはともかくとして、閉鎖的だということだ。(他の街が 同質化していくというコトは、閉鎖して 守るべき内実自体が弱体化し、一般的にも、それが前時代的と認識されていることを意味する。)
だから、この街はオールドファッションであることを、いまだに美徳としている。その社会の在り様は、60年代のヨーロッパのまま、立ち止まっているように見える。 
 
この「守りたい内実」というのは、簡単にいってしまえば、「社交界が街の中心にある」、ということだ。そして、その社交界のモラルとか、エトスとか、マナーとかが、街全体に染み渡っているということだ。  これは、いまのヨーローッパでは珍しい。



私が この街を初めて訪れたのは、スーツは着ているが、ミュージシャンまがいのロングヘアーだった頃だ。

それから 幾度も訪れているが、、この街で経験し、「学んだ」コトを、どう上手く、伝えればいいのだろう、、、それは、ニューヨークとも、アジアとも明らかに違う、極めて「ヨーロッパ」的なモノだった。

例えば、没落貴族の骨董屋のコト、、、

コールマルクト通りの先の方に、骨董屋が軒をならべている、、、パナマ帽を被って散歩をしていたから、確か 6月か7月、 季節は夏に向かっていた。

冬の厳しさがウソのように、天気は晴朗で、風は優しく、市場には果物があふれ、瑞々しく輝いていた。

週末旅行で来たつもりが、長居をしてしまって、荷物が増えてしまったので、 私は、ブラブラと 午後の散歩がてら トランクを探しに出たのだった。

だが、数軒、見て回ったが、 手頃なサイズのものが見当たらない。

もう一軒だけ、と思って、入った その店は骨董屋というよりは、古物屋といった方が良い、雑多なもので溢れた店だった。
「雑然」という言葉は、この店のためにあったのではないかと 思うぐらい、古い写真の脇には、銀器がつまれ、その隣には 朽ち果てたシルクの蝙蝠傘がある といった具合で、、、およそ、ドイツ語圏的な 整理癖とは無縁の「展示方法」だった。、、、イヤイヤ こういった店にコソ 掘り出しモノがあるのかも、、、
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店のなかは意外に広くて、真ん中のカウンターの後ろに 店主と思しき中年男と犬が一匹、それに、店主の友人と思われる小太りの男が陣取っていた。


目的のモノはなさそうだが、私は なんとなく 店内を見歩いていた。洒落たプルオーバーを着た小太りの方が、離れたところから、私に向かって笑いかける。笑いかけながら、隣のハンチングを被った店主に、ウイーン訛りで囁くのが聞こえた。「ハンドメイドのスーツを着ている。宝石を売りつけろ。」

オヤオヤ ここは 来るべき店ではなかったカナ、さっそく退散しようかと 思った矢先、突然 犬が、ケタタマしく吼え始めた。
それまで、客に挨拶もセズ、 何か焦点の定まらない目つきをしていた店主が、 急に 犬を 大声でどやしつけた。 「黙れ!黙るんだ!黙ってくれ!」 - その 怒鳴り方が尋常ではなかった。何か ストレスを抱えている、 精神のバランスの悪さが 感じ取れた。


驚いていると、店主は なにごとも無かったように こちらを向いて 「何か、お探しですか?」と、ヨーロッパアクセントの英語で 尋ねた。
つい、反射的に こちらも 英語で 「トランクを探しているんですが、、」と答えてしまった。

「どれぐらいのサイズのものを お探しで?」と、問われ、、「20インチ四方ぐらいカナ」と 私は答える、、、、 

「ここには 置いておりませんが、家に 2つ持っております。 サイズは少し小さくなりますが、叔父が使っていたもので、、、1910年あたりのドイツ製、、、、当時 はやった 樹脂だか ナンダカを固めた素材のもので、、、ソウソウ 、象がふんづけているマークがついてるヤツ、、、ひとつには ストームカバーがついております。 それには 色んな観光地の古いステッカーがはられております。
叔父は船乗りだったもので、、、もちろん、二つとも 鍵がついているコンデイションも良いものです。」

店主は、こう、 まくし立てると、「あなたさまは どちらのホテルにお泊りです? よろしければ、店が終わったあと 家に戻って 夜にでも ホテルにお持ちいたします、、」と、言った。d0004856_22575794.jpg

躊躇はしたが、意外に丁寧な英語に ほだされて 私はホテルの名を残して、店を出た。

、、、それから、 私は、巨大な花屋のなかにある カフェで、友達と 冷たい飲み物に お菓子を楽しみ、別の友人が合流して、郊外にあるレストランに出かけた。料理は、ウイーン風の味の濃いものであったが、素晴らしかった,,,おしゃべりと、食の愉しみで、 私は、とうに トランクのことなど忘れていた、、、しかし、忘れる者がいる片方で、しっかりと 企みを抱えている者もいる、、、ホテルに戻って、シャワーを浴びていると フロントから電話があった。

、、、「骨董屋と申す者が まいっております。 ご要望のものを お持ちした ということなのですが、、、いかがいたしましょう。」
、、、、記憶は 数秒して トランクのことを 思い出させた。「それでは、下に降りるから、ロビーで待たせてくれ、、」と頼んで、 私は着替えることにした。


このホテルの”ロビー”は、昔風の「ウインター ガーデン」(室内庭園)にしつらえてある。中心街の1区にある この私の常宿は 多分 19世紀か それ以前に建てられたもので、 高い吹き抜けのグラス天井を持つウインターガーデンを中心として 回廊のように部屋が割り振られている。

エレべーターは、どこか旧式で 内部はベネチア仕上げの鏡張りになっており スタンド式の灰皿が備えてある。乗り降りする宿泊客は、好むと好まざるとにかかわらず、己の姿と 毎回、対峙することになる。
客室の年代もののドアは、出かけるとき、 閉めるだけでは 勝手にロックされず、忘れずに鍵をかける必要がある。



、、、エレベータの扉があくと、骨董屋は、待ち伏せするかのように、 一番、近いソファに構えていた。私の姿を認めると ゆっくりと立ち上がる。意外に背が高い。

昼間、見かけた印象より、ズット偉丈夫で、ジーンズに軽いジャケットを身につけていた。間近でみる その顔つきは、この街に多い ユダヤ系の商人とは違う いわゆるゲルマン系の顔つきで、チョット 酷薄そうに見えた。
「こんな遅い時間に伺って、ご迷惑だったでしょう」とか、 ひと通り 気遣いの言葉と挨拶があり、私たちは ソファに座って ウエイターに飲み物を頼んだ。

骨董屋がもってきた トランクは、コレクターもいる 「バルカンファイバー」をつかったもので、(いまのグローブトロッター以前にあった 革製ではない 丈夫で軽いトランク)、確かに、象がトランクを踏ンづけているイラストがはいった三角形のマークが 刻印されていた。

トランクは、大小あり、値段は 大きい方が 日本円で約2万円だという。買ってくれれば 小さい方は 進呈すると言う。 モウ メンドウなので 買う事にする。、、サイズは小ぶりだが、ふたつ
あれば、なんとか 荷物も片付くダロウ、、、


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手渡した現金を ポケットにいれながら、何故か、男は立ち去りがたい という様子だった、、、商談が終わると、ソレまでと違って 少し 横柄な 口ぶりも かいま見せた、、、「いまは 郊外に住んでいるので 伺うのが 遅くなってすいません。」「あの店も ここ最近 やり始めたもので その前は ホテルを開いていたのです。」と、男は言った。

「ウイーンで?」と、私は尋ねた、、、ホテルで「働いていた」ではなく、ホテルを「開いていた」というのが引っかかった、、

「イヤ、避暑地の方です。家族の別荘を ホテルに改装したんです。」

別荘!? ホテルになるくらいの避暑地の別荘を持っていることと、あの雑然とした店が スッキリと、頭のなかで 結びつかない。 怪訝ソウであったろう 私の顔色を察したのか、男は、コウ続けた、、、

「実は 私の家は古い家系なんです。」 ソウ言って 小指にはめた 金のシグネットリングを差し出した。 「これが 私の家の 紋章です。」

それは、中世的な 動物とも魚とも知れない図柄が 組みあわさった 不思議な紋章だった。

男は、今度 ウイーンに来るときは 是非知らせて欲しい。オペラの切符も手配する、一般では絶対に手に入らない席を用意する、、、妙に親身で、しかし、 私が、ウイーンに後見人がいるかどうか、この社会をどれほど 詳しく知っているのか 探りをいれているようにも 見えた、、、私は、話をソラシたくなった、、、
「自分のホテルなんて ケッコウなコトじゃないですか」

すると、男の目が妙に 曇った、

「別荘を改装したといっても、施設からいえば 2ツ星ですよ。誰が 避暑地に来て 2つ星のホテルに泊まりたがります?、、、それに、ホテルの仕事というのは たまらなく ストレスがたまるんです。」と、男は言った。

「ソウですか、、」、チョット ”不穏な空気”を感じながら 私は あいまいに 相槌をうった。

「ソウですトモ!客がくると いつも笑っていなければならない。 それに、毎回 銀のナイフやフォークがなくなるんです。 ソレに、毎日 母親と ケンカばかりで、、、もう ケンカは タクサンだと母に いったんデス」 「私は2度と ケンカはしない!」、、、男は 自分の言葉に興奮しているようだった。

男の興奮ぶりに、私は、思わず 周りをみわたした。だが、時刻はいつの間にか、深夜をまわっていた。 人目を心配するまでもなく、我々,二人だけが ”冬の庭園”に とり残されている。
バーマンはサッサと家路についた。ロビーの向こう側のデスクにいるべき、ナイトポーターも 控えの部屋に引っ込んでしまったようだ。見つめているのは、壁に飾ってある リッパな角をもたげた 剥製の男鹿の 偽物の目玉だけだった。


私の所作に気づいて、男は、少し、気を取り直したようだ。 

「、、、もとの私の家は、ウイーン市内でも 美しい館(カーサと言った)の ひとつだったンです。レニ・ルーフェンシュタイン(*「民族の祭典」などで 有名な女流映画監督)と私の母は親しくて、ウイーンに来れば、必ず我が家に泊まっていったものです。」男は、そういって、財布から 幾枚か、写真を取り出して、その一枚を差し出した。
「彼女とは 今でも親しくて、‘私が、死んだら 今、撮っている海底写真の幾枚かの版権をあげる‘ とまで、 私に、言ってくれました。」 誇らしげに、差し出された写真には、この超人的な女流クリエイターを中心に、男と、その母親と思しき老女が 食卓を囲んでいた。

「お父さんは、お亡くなりになったンですか?」 私は、ツイ 無作法な質問をしてしまった。無作法とは、思ったが 彼に ヨク有ル「偉大な父親」の話でもさせて ”花”を持たせようと 思ったのだった。、、、ダガ、、、
 

「エエ、、、、、、父は、、、ソウ、、、生涯、一度も 働きませんでした。いつも、カジノに居ました、、子供の私は、母にいわれて カジノまで 父を迎えに行かされたものです。子供が迎えにいけば、さすがの父も、早く、帰ってくると思ったんでしょう、、、」 男は、思い出を振り払うように、二、三度、頭を横に振った。

「子供の眼からみても、家が苦しくなっていくのが ハッキリ 分かりました。ついに、メイドも雇えなくなり、母が自ら 床磨きもしていました。それを 新聞に撮られて、社交欄に ‘床を磨く 伯爵夫人‘ と 書きたてられたこともあります。」
「、、、その間も、ズット 父は カジノでカードを切り続けていました。日本人のように、無表情な顔で、、、、私は、ダイッキライです!あの無表情が、、父の顔には ズット、表情というのがナカッタ、、、、」 男は、落ち着こうと思ったのか、テーブルのグラスを探る。
しかし、とうに、グラスの中身は飲み干されていた。空のグラスに気づき、ウエイターの姿を 求めるが、既に、ロビーに人影はない。 彼は、しばらく、グラスを持て遊んでいたが、アキラメタように、ゆっくりと それをテーブルに置いた、、、これまで、何度もアキラメテきたように、、

男の声は、少し、低くなった。
「、、ついには、家を手放さなくてはなりませんでした、、、 家を離れる日、母と私は いっしょに半旗を揚げました、、ここでは、家族の誰かが 死ぬと 家に半旗を揚げる習慣があるンです、、私たちの家は そのとき 死んだのです、、」

「、、私は、生まれ育った あの家を愛していたんですヨ、、、分かってもらえますか?、、、もう、カラダの一部みたいなモノで、、庭には、両親も知らない 私だけの 秘密の 宝の隠し場所もあったんです、、、或る日、私はドウシテモ もとの家が見たくなって、犬と一緒にたずねたんです。、庭の秘密の隠し場所に、置き忘れたモノがあるような気もして、、、家を売った相手は、ドイツ人の医者で、いつでも 好きな時に 見に来ても良いと、 売るときに約束してくれたンです。」「デモ、、、門の前で、呼び鈴をならすと、不恰好なメイドが出てきて、不審ソウに私を見るんです。私は 名を告げて アンタの主人に聞いてもらえば分かるから、私は、この家の前の持ち主ナンだから、と言ってやりました。でも、医者は留守だと言うんです。主人が留守だから、見ず知らずの人間を いれるわけには いかないと その一点張りなンです。 サア、帰った!帰った!、、まるで、この家には、お前は不釣合いだと言わんばかりに、、、たかが、メイドがですヨ、、、」
、、、、「私は、家に はいることができなかった、、、」 驚くことに、男は嗚咽しはじめた、、、

私は なす術もなく、男が泣き止むのを待っていた。

「スミマセン、、、」 ようやく 男は落ち着きを取り戻したようだ。

ひと呼吸、間をおいて、そして、、、意を決したように 男は言った。

「私は ゲイなんです。  ソサエテイーの手前、結婚はしていますが、、、今日、来たのも、、、トランクを買ってもらえるか どうか ナンテ 私には どうでもいい事だったんです、、、デモ、長居をしてしまいました、、、 今日は、これで おいとま いたします。」

そういうと、静かに 立ち上がり、軽く会釈すると、 男は足早に立ち去っていった、、、、。

テーブルの上には、茶色い 古いトランクがふたつと、奇妙な疲労感が残った。

 
翌日の午後、私は スーツの仮縫があり、グラーベン通りの なじみの仕立て屋にいた。マスターテーラーは、温和な人物で、この街のことを熟知していた。
店は、永い年月を経て、この街における特殊なポジションを手にいれていた。

私は、外国人だから、この街の社会や人について、迷うときや 予備知識を準備しておきたい時がある。そんな時、この店を訪れ、お茶をゴチソウになりながら、何気ない会話のなかで この人にアドバイスを求めることにしている。友人や知人に尋ねることも出来るが、男の人生だから、場合によっては、ソチラには聞きたくないトキやコトもある。
彼も また 気づかないフリをしながら、手短かだが いつも、適切なアドバイスを してくれる。 これは、値千金で、私は何度か助けられた。
手短な内容では、分かりにくいだろうと、彼が判断したときは、後ほど 彼の息子が 連絡をしてくることになっている、、「父からの伝言ですが、、、」。

、、、フィッテイングをしながら 昨日の興味深い体験を、私は話していた。 最初は、面白がって聞いていた彼だが、男が泣いたという 話の段になって、 温和な この人には珍しく 感情をあらわにして ナサケナイ男だというような意味のドイツ語を言った。 「その男の名前はなんていうんですか?名前がわかれば、私はすぐに身元がわかります」といきまいた。 、、私は 忘れたフリをした。 面白い体験をした ということで充分で、それを リアライズしても 意味がナイと思った。

話題を変えて、オモシロオカシク 無駄話をして、仕立て屋を後にし、 それから、チョコレートと 花を買って 友人宅を訪問し、そして 着替えと ひと休みするために ホテルに戻った。

フロントでは、「お預かりしたモノがあります。」と茶色い封筒を差し出された。部屋に戻って、 見ると、それには、ご丁寧に赤い封蝋がしてあり、昨日 見た 不思議な紋章が おされていた。

なかには、 「奥様に、、」という手紙とともに ネックレスとイヤリングが納められた小箱があった。ユーゲンシュトールのものだろうが、もちろん宝石が入ったものではない。 洒落てはいるが、ビジュー ファンタジー(デザインもの)だ。

手紙には、住所と連絡先が あった。 念のため、ファイルはしてあるが、それ以来、連絡はしていない。








ウイーンの社交界は2つのグループにわかれている、、、
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by rikughi | 2005-04-25 22:16 | ウイーンの仕立て屋

「私のワードローブから」 4 タウンスーツ The devil lives in the detail.


「美服は門戸を開く」
(愛すべき祖父の言葉より)
(、、、もうひとつ 祖父の言葉で覚えているのは、「背広にアイロンをかけるのに、何故、札-サツ-にあてないのか!」 -祖父がカワイソウナ女中さんにいった言葉 -祖父は シワクチャな紙幣を嫌っていた。外出するときには、手がきれるような新札を用意させた。たまに、その用意ができていないときは、お札にアイロンをあてることを 強要した、、、まだクレジットカードが普及する前のことです。)


d0004856_23143161.jpg「男のクラッシックな生地とは」

男のスーツ スタイルには、大きく分けて

「タウンスーツ」(文字通り、街中で着るスーツ。主には、日中用というのか、昼のスーツ。夜のデイナースーツとは区別される。)
「カントリースタイル」(カントリー、或いはスポーツ時のスーツ、スポーツ観覧時も含まれる)
「リゾート スタイル」(海辺、リゾート地でのスタイル)

の3つが、あり、

これに、「デイナー スーツ」「フォーマル(スペシャル オケイジョンと呼ぶ)」(モーニングコートとか、テイルコートなどのセレモニー用スーツ。タキシードは略式なので、デイナースーツに含まれる)が加わる。
厳密にいうと、「タウンスーツ」と「カントリースタイル」の中間あたりに、「セミスポーツ スーツ」と呼ばれる、タウンでもカントリーでも両方使えるモノがある。(これは、1930年代半ば頃に タウンスーツのカジュアル化といったトレンドがあり、その中で生まれたもので、 フラノ地などのミルド フィニッシュの生地も、タウン用に認められることになる。)
ジャケットやブレザーは,「デイ ウエア(day wear)」と呼ばれる。

この それぞれのスタイルに、男にふさわしい、クラッシックな生地(柄とともに、織りもスタイルによって、決められている)というのがあった。



残念なことに、今や、こうした、それぞれのスタイルを熟知し、それにふさわしい生地を識り、それらを揃えているテーラーは、いなくなった。



なぜならば、ライフスタイルそのものが、変ってしまったからだ。

服装というのはライフスタイルと、その社会性(平たく言えば、他人にどう見られるか、或いは、どう見られる必要があるか)を背景として発達改良されてきた。
昔の紳士のライフスタイルの大きな要素は「社交」であるから、この様々なスタイルの「正しい」服装を揃え,時、場所に応じて 適切な服装をすることが紳士たるものの嗜みであった。 服装に「社会性」があったということだ。
タオルミナだろうが、バーデンバーデンであろうが、ドーウ”イルだろうが、人とともに、「社交界」も移動してくる。避暑地には、避暑地での「社交」がある。そこには、また「見られる」ことと、「見る」ことという服装における社会性が常に存在していた。 


祖父が言った「美服は門戸を開く」という言葉は、こうした時代を背景としており、その意味でリアルである。ただ、拡大解釈すれば、現代においても当てはまるものがあると思う。


個人的には、「カントリースタイル」の4ply-6plyの厚手のツイルとか、手織りのハイツイストウーステッドや、味わい深いスコットランドの古代タータンなどに好みがあるのだが、ここでは「タウン スーツ」用の生地に先ず触れてみよう。



d0004856_0424274.jpgチョークストライプの魅惑

チョークストライプのスーツは、男のワードローブには,MUSTな一着だと思う。大人の男のスーツというのは、この柄から 始まる - という 個人的な 思い入れがある。

チャコールグレー地に白のチョークの ダブルブレステッドや、ネイビー地(英国的な少し明るめのもの)に やはり ホワイトチョークのシングル2ボタンの三つ揃い などは 男のスーツとしては タイムレスな エレガンスを持っていると 思う。(チョークに限らず 近頃の男は、クラッシックな良い柄を 見過ごしている と思います。知識不足の テーラーの責任もあるのでしょうけど。) 

ところで、この生地で、重要なのは、まさしく 白墨(チョーク)で線を引いたように、所々 かすれ、消え入りソウナ風情である。これが、この生地の 魅惑である。
この風情があるからこそ、スーツに仕立てたとき 独特の味わいがでる、、、一種のワビサビを 感じさせる生地なのです。

しかし、いまや、本格的なチョーク ストライプは、探さないと 見つからナイ。
「チョーク」ストライプとは 名ばかりで、定規で引いたようなものまでが、「チョーク」と呼ばれるのは 困ったモノだ。

もうひとつ こだわると、 ストライプの生地を選ぶとき、迷うのが、その間隔だが、 私は 20mmから25mmぐらいある 「広め」のモノが 好みで、ストライプの色も ダークグレイに 白の「チョーク」とか ハッキリしたものが好きだ。
間隔のあいた ストライプは、中庸が好まれる日本では敬遠されがちだが、昔のサビルローでは、むしろ エレガントな男らしい生地として 好まれた。



加えて、 この柄は、原則的に ミルド フィニッシュ(少し毛がたった)仕上げの フラノ地が よく似合う。(探せば、スムース仕上げの軽めの生地も あるが、、) このクラッシック フラノは 英国のウエストヨークシャーの ミル(生地工場)の 「お家芸」だが、 従来は 400gある 重い生地だった。
いかにも、英国の風土から 出てきたものだから仕方ないのだが、エアコンデイションが普及した 現代では 少し重い。それに、ビジネス シーンでは この重みは 少し オフシーン(リラックスしすぎというのか)に見える。 ただ、困ったことに この「重み」のある質感が この生地の味わいを 支えている。



”理想のチョーク”を求めて、、、ついに、私は ツテのあるヨークシャーのミルを頼って 織らせてみることにした。
サンザ 迷ったあげく、 ミルのチーフデザイナー氏のアドバイスもあり、コンポジションを Finest ラムウール95%と カシミア5%に変更してみた。仕上がりは 見た目の「重み」は そのままに、200g-270gという フラノでは極めて 軽量なものが出来上がった。
これは、日本では 3シーズン着られるウエイトだ。 

この生地は 顧客用のサンプルを織る 古い織機で 織ってもらった。

昔は、生地からビスポークする 個人顧客がいたそうだ。 ゼイタクなものだ。

歴史のあるミルでは, こうしたワガママで 特別なものを 望む顧客用に 限られた反数を織る織機が生産用のモノとは別に 工場の片隅に置かれていたという。 これで織られるものは、例えば 本人のイニシャルを ストライプ生地のように仕立てたもの(アマリ 趣味が良いとは 言えないが、、)とか、 デイストリクト チェックとよばれる その家 伝来の柄 というモノで、 他の織機とは扱い方が違うので、最古参の職人が担当したという。

頼んだミルには、 いまだ この織機が 置いてあった。(ちなみに このミルは その昔、 「ブリッテイシュ カーキ」と呼ばれる 軍服に使われていた 厚手のウール - チノクロス みたいなものですネ - を開発したことが 自慢だった。)



d0004856_20421278.jpgハウンドツース


順序からいえば、ピンストライプ(ダブルピンストライプの端正さについては 語りたいところだが)、オルタネイトストライプをとりあげるべきだろうけれど、ここは 個人的趣味から 「ハウンドツース」を 薦めたい。

この柄は、ご存知のように 本来 カントリースタイルのものだった。
それが、1930年代半ばに カントリータッチの生地で仕立てたスーツを 街着として着ることが かえって洒落ている という風潮があり、とくに このハウンドツースは さかんに着られるようになった。


当時の「エスクワイア」には、BLACK&GRAYのハウンドツースを シングル2ボタンの三つ揃いに 仕立て グレー地に白い衿のクレリックを 合わせた 魅力的なスーツスタイルが とりあげられている。

この柄は チョークストライプ グレナカートチェックと並ぶ 男のクラッシックである。柄の細かいものは、モーニングコートやジャケットにあわせる 替えズボンとして、古くから紳士の定番であったし、ウインザー候は この柄で ピークッド ラペルの ラグランコートを 仕立てさせた。

出自は、 「野趣」あるモノだったが、不思議に 上品な「モダンさ」をもっており、柄の大小をまちがえなければ、何を仕立てても 育ちの良さを 感じさせる。

いまや、カシミアからアイリッシュリネンまで、super150などの 細番手のものから コート地まで、 柄の大小、色の組み合わせも 様々なハウンドツースがある。 なかには、赤などのオーバープレイドを組み合わせたモノもある。

コツは スーツならば 「少し細かい カナ」と思うぐらいの 柄の小さなハウンドツースを、ジャケットならば 柄が識別できるぐらいのモノを選ぶのが 原則だと 思う。


ブルースーツ

「男のスーツは、ネイビーで始まり、ネイビーで終わる」という。誰が言い始めたのか、「誰も知らない」が、街のテーラーは、事あるごとに、ソウ言う。
ネイビーと限定しなければ、確かにブルースーツは男のクラッシックで、不思議に女性の評判も良い。






この項 つづく
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by rikughi | 2005-04-19 23:15 | 4.タウンスーツ

「六義  コレクション帖」  1 デイアスキンとコレスポンドシューズ


 「コレスポンド フルブローグ(スワンネック)」  六義
designed and directioned by R.Hanakawa   crafted by T. Okubo



d0004856_0213580.jpgコレスポンド(コンビ)シューズというのは、数ある男の靴のなかでも、最も ダンデイズムを匂わせる 「一足」 といえるのではないか。

変っていて、目をひくけれども、これは、黒のオックスフォードと同様に まごうことなき、男のクラッシック シューズだ。由緒正しき 靴なのだ。

この靴を、ひと目 見ただけで、30年代の優雅なリゾート地、例えば ドーウ”イルの競馬場とか、白いホワイトフランネルのスーツとか、モンテクリステイ製のパナマ帽とか、、そんな贅沢なシーンが思い浮かぶ。 そういう靴は、他にはないでしょう。

名だたるダンデイ達が この靴を愛用した。フレッド・アステア、ダグラス フェアバンクス JR、スコット・フィッツジェラルド、、、、これだけでも、その由緒正しさは窺い知れる。

ダンデイ達の靴コレクションには、必ず、用意されいた贅沢な靴。  或いは、贅沢な生活を象徴する靴。

それなのに、いまや、この靴を見かけないのには、それなりの理由がある、、、、


「白い 宝石?」

この靴で重要なのは、カーフとのコンビにつかわれるホワイト デイアスキン(白い鹿皮)で、 これは、あくまで純白の、それも ビロードのように滑らかな上等なモノでなくてはならない。それ以外は、残念ながら、本物とはいえない。

ところが、このホワイトデイアスキンというのが、ヤッカイで、いまや入手困難を極めるものなのだ。

無イ といわれれば、欲しくなるのが男で、 ダンデイで知られる俳優のテレンス・スタンプは、最上等のホワイトデイアスキンを手にいれるのに、数年間を費やしたという。それも、80年代のことだ。
何年待っても、思うものが手に入ればイイガ、事情は、年々、悪化している。 

多分、ロンドンの老舗といわれる靴屋、イヤ 世界中の注文靴屋においても いまや、コレを常備しているところは珍しいのではないか。注文しても、この純白の鹿皮のおかげで断られるケースが多い。或いは、オフホワイトあたりでごまかすことになる。

いまや、それほど貴重なモノになってしまった。

鹿皮そのものが、品薄になってきたこともあるが(とくに良質なものは)、とくに、ホワイト(白い)が手にはいりにくいのは、 それが、本来の鹿皮の色だということがある。(鹿皮というのは白いのダ)
、、、白く染められるわけではない。つまり、ホワイトデイアスキンは、鹿皮そのものが良質で、傷がないもの、汚れがないものでなければならない。他の色と違って、染め加工でごまかせず、その白さゆえ、汚れやすく、扱いにくい。鹿皮は、本来 耐久性に優れたものだが、柔らかいので、作り方にも多少のコツがいる。靴屋にとっては、ヤッカイな代物というわけだ。

加えて、世界的なドレスダウン化と、男の贅沢な生活スタイルというのが、変ってしまった。あれほど、ダンデイ達がこぞって愛した靴は、頼む人も少なくなった。悲しいコトダ。

その結果、いまや この靴の あるべき正しいスタイル - パターン、デザイン -を知る靴職人も少なくなった。(これは 残念ながら 男の服を知りつくしているテーラーが 少なくなったのと同様だ)、、、これまでも、需要と供給のバランスで、 男に必要だった多くのエレガントなものを、私たちは失くしてしまった。、、、
これは、本来 ボート競技から生まれた 「スポーツ」シューズなので、単に、普通のフルブローグをコンビに置き換えれば良いというものではない。

本物のコレスポンドをつくるには、おおげさにいえば、男っぽい優雅さを理解する美意識が必要だと思う。同様に、これを 履く男にも 、、、、



「クラッシックである という 優雅さ」

今回は、いまや面倒で、あまりやる人もいなくなった クラッシックなパターンとラストを採用してみた。 ウイングの形、スワンネック、スワンネックの頂点からつながる履き口のバンド、パーフォレーションは、あえて最も正統的でクラッシックなものを、、、

そして、ラストは、かなりアナトミーな、立体的で、複雑な曲線を描く男っぽい クラッシックラスト、、、


一番気を使ったのは、それぞれのバランスと分量だ。優雅で、かつ、あくまで男っぽく仕上げること、つまり、男の服に、素直になじむことだ。(良いスーツと いっしょで 優れたモノは いかに複雑で、凝った仕事をしていても 目に素直に映るものなのです。 実は、これが、一番難しく、 技術と、一歩上の健全な美意識を必要とする。)

 
この靴には、 エレガントなリゾートスタイルが、よく似合う。 トープ色のギャバジンで仕立てたクラッシックな ダブルブレスッテッドスーツ、 或いは、シンプルに、サージの紺のブレザーに ホワイトトラウザーズ、、、、、これほど、男の洒落心を刺激してくれる靴もめずらしい。




anytime, you would like to,,,,,,(要予約)

六義 銀座

東京都中央区銀座一丁目21番9号 箱健ビル1階
電話 03-3563-7556





copyright 2005 Ryuichi Hanakawa
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by rikughi | 2005-04-17 00:21 | 1. コレスポンデントシューズ

Sommaire INDEX



Une Tradition de QUALITE,,,,,,,



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プロローグ

「ダンデイというスタイル」 

私は、どうしても古のダンデイ達に魅かれてしまいます。思うに、「ダンデイ」というのは人生を楽しむひとつの手段であり、彼らはその才能に溢れていたように思うからです。


1.スタイル
2.ボニ・カステラーネ侯爵(1-4)
3.「UNNOTICEとVISIBLE」

「私のワードローブから」  

ワードローブに何を揃えているかで、その人物が分かるといいます。レデイメイド全盛の時代になってモノは世の中にあふれていますが、男たちはかえって方向を失ったように思います。


1.  ソックスをめぐるダンデイズム
2.  美しいシャツ(1-2)
3.  タウンスーツ 
  The devil lives in the detail
    
「百歳堂 散策日誌」

私は、自分の職業を問われれば「旅行家」と答えるのが正しいと、真面目に思っています。それほど旅に時間を費やしてきたからです。そして、旅で身にしみたことが、一番、自分を形ずくっているように思うからです。

1.ジャックスと豆の木
2.ウイーンの仕立て屋
3.モンマルトルの恋人
4.京都のお化け



「六義 コレクション帖」

六義という店は、こんな「パーソナルショップ」が東京にあったら良いな、という想いではじめた店ですが、やはりラストメーカーの大久保尊氏との出会いがあって出来た店だと思います。大久保との出会いも含めて、自分の人生にとって作って良かったと思っています。マーケテイングとか奇をてらった内装とか、流行りの海外ブランドとか、そういうものとは違う真実味のある、泥臭く言えば作った人間の人相がわかるモノづくりをあせらずにできればと思っています。

1.フィッテイング
2.コレスポンデントシューズ
3.プレイドスーツ




「男の躾け方」



1.「洗濯」
2.「睡眠」
3.「磨く」
4.「捨てる」
5.「友人」


「大人の御伽噺」



1.「本物の金持ち」
2.「スノッブ」
3.「プレイボーイ」


「百歳堂交遊録」



「日々の愉しみ」



*カテゴリを使って検索していただくと読みやすいと思います。
*各記事は、時折 加筆 訂正しております。
Tous les dessins, tous les textes du sont la propriete exclusive Ryuichi Hanakawa. Leur reproduction est strictement interdite.
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「六義」
中央区銀座一丁目21番9号
phone 03-3563-7556 e-mail bespoke@rikughi.co.jp

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by rikughi | 2005-04-16 00:22 | INDEX

「百歳堂 散策日誌」 サイケデリック 1  -ジャックスと桜の木ー

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朝、目覚めると、新聞とテレビの天気予報をチェックして、日和の良さそうな街をしらべ、
そのまま、旅に出てしまうことがあった。
、、、ローマ、リスボン、フィレンツエ、シチリア、アルル、、、、
、、青空が広がる街、まだ知らないエキゾチックな名前の街、、、、
どこへでも行けそうな気がした。

  そんなコトを思い出したのは、このところの陽気のせいで、桜が豪勢に咲き誇っているからだ。

自宅近くの公園では、ピンクの雲 -PINK CLOUD-が ゴージャスに輝いている。川べりを散歩していると、折り角の風にあおられ、桜吹雪に埋もれてしまいソウにナッタ。


こうしたトキ、頭の中の記憶装置は、唐突に 脈絡のないものを 思い起こさせる。

この時は、「ジャックス」だった。  

ジャックスというのは、日本のロックグループで、当時 他のバンドが ブルースロックとか 借り物の音楽様式に 日本語を乗せようと 四苦八苦しているとき、オリジナリテイーがあるというのか 非常に日本的なアプローチで まがりなりにもロックになっていた 変ったバンドである。
私が、中学の時だから もう35,6年前ということになる。

早川 義夫という人がリーダーで、粘着質の声で 暗い歌詞(面白いのは、ありがちな私小説的というよりは、シュールだった。)を辿っていた。 それほど ファンというわけでもなかったが。


記憶のストッパーが 外れて、様々なモノがあふれ出てくる。、、、、ソフトマシーン、テン イアーズ アフター、ピーターマックス、ミスター フリーダム、ボンゾードッグ ドウー ダハー バンド、グラニー テイクス ア トリップ、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、


家に戻ったら、紅ショウガのはいった お花見チラシが 用意されていた。それを、食べながら、まだ、 頭のなかでは、な 思い出が渦巻いている。 






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by rikughi | 2005-04-10 22:42 | 「百歳堂 散策日誌」

「私のワードローブから」 3  美しいシャツ その2


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その頃、彼は まだ ハタチ前で、年上の友人の リックと パリに遊びに来ていた。
リックは 優雅なプレイボーイで 優れたポロの選手だった。
          
今日は、ポロの試合も休みだし、年下の彼が パリのテーラーに頼んでいたスーツが,仕立てあがったというので、一緒にテーラーに立ち寄ってから 左岸に出かけて 昼食を摂ろうと いうことになった。
テーラーは、「バーソロミュー」という名で 小さな店だが 腕は確かだった。この店はリックのご推薦の店で、大通りにある ランバン やクリスチャーニほど 豪華ではないが パリでも洒落者が集まる店だった。

店の主人は、顔も体つきも すべてが 丸い造作の 小柄な気の良い人物だった。 
、、、、テーラーというのは、どうして小柄な人が多いのだろう。
ミッドグレーのフラノ地の そのスーツは、シングル合わせの2ボタンで、ごく普通のデザインだったが 着てみると ナルホド 大人の男の 優美なドレープが生まれた。裏地にはパールグレイのシルクサテンが張られていた。
主人は、仕立てのチェックをしながら、年若い顧客にいった 
「ムッシュー、そのシャツはドウモ、、、」
彼が着ていたシャツは、ロンドンで仕立てた お気に入りのストライプのものだった。
「ロンドンでは 良いかもしれませんが、パリでは シルクの無地などに なさったほうが、、、」          

          

「シルクという贅沢」 

のシャツ地というのは、シッカリと目が詰まっていなければならない。そして、適度な厚みがあるのが良い。 これが、着心地を左右する、と思う。

番手が高くても、薄すぎるモノや、フワフワしすぎる(目が甘い)ものは、背広やウエストコートの下で,もたついてしまう。
素肌に沿うように、滑らかに、ドレープして、しかし 柔らかい - そういう生地でつくったシャツは、朝、袖を通したときに、少しヒンヤリと感じて、心地良い目覚めを助けてくれるものだ。

シャツというのは、大概、男が、その日、最初に身につけるものだから、贅沢であって欲しい。

できれば、20匁ぐらいのシルクのツイルなどであれば - 上質のツイルは、独特の品の良さがある。(ツイル、そして 夏のボイルというのは大人の男の定番ですネ。) - その滑らかな包容力で、 今日、一日を優雅な気分にしてくれるだろう。

シャツ、トランクス、ソックスというのは、男にとって肌着だから、ここが贅沢で、気持ちがよくなければ、 いくらスーツに凝ったとしても 片手落ちだし、だいいち、着心地が悪い。  男の「格」とか「品」といったものは、案外、こういうトコロにあるような気がする。


洗濯の手間とか、派手ではないかという偏見もあって、最近は シルクのシャツを着る男を トント 見かけなくなった。しかし、20世紀前半までは、その着心地と、一種のダンデイズムで洒落た男は、シルクを愛用していたものなのです.


d0004856_1401570.jpg 「マストロヤンニのシャツ」

シルクのシャツで思い出すのは、 ストロヤンニの昔の映画で、イタリア版「ドンファン物語」といった作品があった。

そのワンシーンでのコト、、、、、ひと夜を共にした女性が、翌朝、彼のシャツにアイロンをあてている。プレスされたシャツを羽織って、出かけようとするマストロヤンニの背に向かって、女は言う、、「上等のシルクね。」「でも、久しぶりなので、チョット失敗しちゃった。ゴメンナサイね。」、、シャツの背中には、、、アイロンの形をした、大きな黒い焦げアトがあった、、、

、、、映画のストーリーでは、この女性は、ひと夜を共にした男を必ず不幸にスル ヤッカイなヒトだったのだ、、、、
(この作品のなかでの、マストロヤンニのスーツ姿は、イタリア風伊達男を彷彿とさせて、ラテンラバーの面目躍如である。腕の良いテーラーがついていたのだろう。)

男のシャツは、仕立てと共に、生地の良さに左右される。しかし、今や、良い生地に限って、何故か、生産が難しくなる傾向にある。私は、やはり、今は生産中止となった20匁のオフホワイトのシルク生地を、慌てて、巻きで買った。

「六義」のシャツ部門のこともあったので、全世界的に問い合わせを出したけれど、結果は悲惨なものデシタ。男が着るに値する シルクのシャツ生地というのは、いまや 滅び行く恐竜のようなものだ。

或る倉庫で、男っぽい ブルーのシャンブレー 16匁の生地を発見したときは、正直 ウレシカッた。

これは、コットンも同じことで、専門家にいわせると、細番手の良い糸自体が手に入りにくくなったそうだ。先日、200双の生地がなくなったので、イタリアの或るメーカーに注文をだしたところ、在庫がナイという、それでは、織ってくれと頼んでみたが、もう糸が手にはいらないからムリだということだった。

それに、巷間いわれるように、織り機の違いがある。私は、70年代前後のビンテージのシャツ生地を集めているが、いまのモノと比べると、明らかに目の詰まり方が違う。 

コットンの場合は、120-140双ぐらいで、適度なウエイトのあるものが、200双などよりも、かえって男のシャツには適していると思う。シルクと違って高番手になると、どうしても薄く、頼りなく感じる。


この120-140双あたりで、良い生地は、70年代以前のスイス、イタリア、フランスで織られたものだ。特に、この時代、スイスコットンに質、柄ともに素晴らしいものがある。(いまは、壊滅的らしい)
イタリアのモノも良いが(オルタリーナなどの70年代の柄物をもっているが、それはシッカリと目がつまっていて、80-120双だが、まさにシルクのような光沢をみせる)、スイス、フランスのものに、色、柄の組み合わせのアカ抜けている生地が多い。

イタリアの生地は、クリエイテイブなのだが、男のクラッシックを考えると ともすれば、アプローチの方向がモダンすぎることがある(その分 時代とともに 古臭く感じる)、フランスもクリエイテイブなのだが、不思議にクラッシックの範疇に収まる。(つまり、古臭くならない) スイスは 何より 色だしが秀逸で、例えばピンクでも、朱っぽいピンクとか、クラッシックを超えて ウナルものがある。




「シャツはアナトミーである」

ャツは、アナトミー(解剖学的)である。つまり、ジャケットならば、芯地を用いて体型を補正できるが、シャツというのは、全くの一枚の布なので、完全にフィットさせるためには、かなり解剖学的な パターンを必要する という意味だ。

これは、いわゆるフラットテーラリングでは、限界がある。身体のクセを 拾うことができる 立体裁断技術が不可欠となる。

「昔から シャツは フランス式が上等とされてきた」 というのは、昔のパリの シャツ屋は立体裁断をやっていたからだと 思う。(現在、そうしているところは、私が知る限り 残念ながらナイ)これは、クチュールの伝統なのかもしれない.
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パリの大御所のクチュールメゾンで、注文をすると、メゾンは、先ず、その顧客の体型にあわせてトルソー(人体)をつくる。

このトルソーに合わせて、トワレがくまれ、(つまり、パターン=型紙が フラット=机の上 ではなく トルソー=立体のうえで 構築されていく。)チェックされたうえで、仮縫いにまわされる。 顧客が太れば、トルソーも綿で補正され、太ってゆく。

メゾンには、こうしたトルソーが、顧客の死亡通知を受け取るまで保管される。自分のトルソーを保管させるということは、年に数着はオーダーすることを保障する、というコワイ暗黙の了解が、クチュール界には、いまだ 存在すると聞く。 

一着、 外出用のスーツを頼んで、マア 200-300万、刺繍や ビーズワークが施(ほどこ)された イブニングドレスになると 1000万近い請求書が送られてくることもあるソウナ。 それに比べると、男のスーツなんてカワイイものです。

この立体裁断を、男のテーラリングに用いたのが、クリスチャーニというテーラーであった。
クリスチャーニは、非常に優れたテーラーで、60-70年代においてサビルローとは別の意味で、男のスーツのメッカをパリにつくった。

アガ・カーンをはじめとする 世界中の「洒落た」ミリオネーアをはじめ、映画スターなどが、この店に殺到した。ストライプのスーツは、完璧に柄合わせされ、場合によっては、背広フロントのダーツは省略された。立体裁断の特徴を生かして、ダーツをとらなくても、カットとアイロンワークで変幻自在な曲線をうみだすことができたからだ。

クリスチャーニは、ウインザー公のスーツを手がけたショルテイ(厳密にいうと ジャケットだけだが。公は ズボンは ニューヨークの ハリスというテーラーに だしていた。)と同じく 一時代を築いたテーラーであった。 彼のアトリエは、 ピエール・カルダン、フランチェスコ・スマルト、テッド・ラピドス など、後の男性ファッションを 支える多くの逸材を輩出した。
(クリスチャーニは、一度、来日したことがある。)



この項つづく
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by rikughi | 2005-04-07 01:36 | 3.美しいシャツ その弐

「私のワードローブから」  2  美しいシャツ その1





d0004856_1120952.jpg「美しいシャツを手にいれたとき、 なんだか 自分も 一人前の男になった ような気がした。
スーツを着る男にとって、シャツ というのは チョットした ‘魔力‘というのが あるように思う。」
(百歳堂 敬白)




「シャツを注文するということ」 

は、1945年当時のパリのシャツ屋のリストです。戦後まもない頃で、「ADAM」という雑誌に、有名どころが共同で広告をだしたものです。

この中で、いま、パリの街に残っているのは、「LANVIN」、「Hildich & Key」、「Charvet」といったところでしょうか。 
「Doucet」というのは、60年代末まではあったように思うのですが、いまも残っているのだろうか。たしか、ジャン・ポール・ベルモンドが主演していたネクタイ狂いのギャングの映画にチラと映っていたような気がするのだが、、。その他の店は、60年代末には、もう、みかけなかったように思う。

パリジャンは、何故かシャツには拘りがあって、以前は、洗濯屋とシャツの仕立て屋というのは、小さな良い店が各通りに必ずあったものだ。昔から、クリーニングとシャツはフランス式が上等とされている。
そのパリジャンでさえ、いまや注文のシャツを愛用している人は、めっきり少なくなった。



しかし、「美しいシャツ」は既成のものでは、手にはいらないことになっている。

イヤ、確かに、既成のものでも良いシャツはあります。

だけど、身体にピッタリと、皺ひとつなくフィットして(特に、肩から首のあたり)、ヨークの下の醜いヒダで運動量をとるのではなく、ジャケットのように袖の背中側に適度な分量がある、そして ちゃんと、ネクタイとスーツのラペルにあった衿型で、できれば、袖の付け根のところに味わい深いハンドステッチが欲しい、、、、、、
、、、こうなると、腕の良い職人に頼らざるを得ないでしょう。


そこで、、、
美しいシャツを 手に入れるために、それに見合った美しい生地とピタッと仕立てくれる職人さんを探さなければならない。

d0004856_1403334.jpgズイブンと、私は、いろんなシャツ屋をめぐりました。


「BESPOKE という ホントの意味」

<クニーシェ(ウイーン)>

マレーネ・デイートリッヒは、ここで特別製のシャツを仕立ていた。それには、胸をより美しく見せるための仕掛けがしてあったという。(娘さんによるデイートリッヒの伝記によると、彼女は、胸にコンプレックスがあったらしい。仕掛けというのは、一種のブラがシャツにくっついていたものらしい。)

ハウススタイルの衿は、いまのハヤリからみると、どれも少し小ぶりで、ハイカラーになっている。特に衿先がラウンドのタブカラーが、20年代風でエレガントだと思う。
私は、ここでスーツを仕立てていたので、それにあわせるシャツは、昔風にネックのボタンをダブルでとめるスタイルにした以外は、ハウススタイルに委ねた。結局、それが、ここのスーツには、一番なじんだ。



<バテイストーニ(ローマ)>

いまのバステイトーニと、昔のバステイトーニは違う。いまも、良い店にちがいない。ここだけの、カルロリーバーの生地(特にブルーのバリエーションなど)には幻惑されるし、コンドッテ通りから、少し奥まったたたずまいも,表通りのファッションぽさから一線を画した感じで、好感がもてる。

何が違うのか、、、、。
具体的には、いくつかあげられるが(昔は、いまみたいに、フルラインのレデイメイドは並んでいなかった、仮縫いのときも、今の若い担当者と違うおじいさんがやってくれた。)、 先ずは、「空気」が違う。 いってしまえば、ローマ自体もまた、昔とは街の「空気」が違う。


バテイストーニはダンデイな店だった。、、、 店にはいると、数人の店員がいる、イヤ 、店員と番頭格の店員、あるい番頭見習い、そして店主と、明らかにヒエラルキーのある構成が、そこに見える。 客がエレガントならば、店主がにこやかに微笑む。 微笑みがあれば、あなたは、この店における立場を保障されたことになる。
アウンの呼吸で、番頭が動く、 「今日は、何を ご所望でしょう。旦那様」、、、 「シャツを数枚、、」
、、、、そして、あなたは、奥にある生地の陳列ルームに通され、椅子にすわる。若い店員が飛んできて「飲み物などいかがでしょう?」と聞く。 だされたカフェを飲みながら、番頭が目の前のテーブルの上に次々と並べていって、山のようになった生地を吟味する。、、「これにしよう」、、、。では、こちらにと、個室のフィッテイングルームに移動する。 この道、何十年という風情のフィッターが採寸をしながら、「今日は、良いお日和で、、」とかいう、そして、「ところで、旦那さまは どちらのホテルにお泊りで、、」と何気なく聞く、、、、、 ひとつ覚えておいた方が良さソウなのは、この何気ない会話で尋ねてくる、ホテルやらなにやらは総て、番頭、あるいは店主に報告され、客は、再度、値踏みされ、それに見合ったシャツが出来てくる、ということだ、、、、、



d0004856_07699.jpgどうです。  少し前まで、 老舗では、客は差別されていたものなのですヨ。
こうした一種の緊張感というのか、そのようなモノの中で、男は、ダンダンと磨かれ、立ち居振る舞いというのがわかってくる。 
これが「空気」なのです。

巨大資本やら、マーケテイング全盛のおかげで、「買いやすく」「見やすく」、何でも気軽に買えるようになった。
アリガタイことだ。しかし、その反面で、買ったものが身につかない男も増えたように思う。

それは、この老舗がもっていた「空気」が希薄になって、男の買い物も、単に金とモノとの交換に成り果てたからだと、私は思う。



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by rikughi | 2005-04-03 11:19 | 2.美しいシャツ その壱