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「大人の お伽噺」 1 本物の金持ち




「ロンドンのさる金持ちは、300足の注文靴を毎日、磨かせるために、それ専門の召使を雇っていた。
また、友人の先祖にあたる貴族は、散歩の途中で疲れたら、どこでも休める様に、パリ中の有名ホテルのスイートルームを年間予約していた、ホテルリッツ、プラザアテネ、モーリス、ラファイエル、、、後は覚えられなかったので、いつも適当なホテルを見つけるたびに、フロントで自分が部屋をもっているかどうか尋ねていた。
その友人は、実家に帰ったとき、車を庭の適当な場所に停めたのはいいが、後で停めた場所を忘れてしまい、庭を一時間さ迷った。

、、、これは、全部、実話で、思うに本物の金持ちの行動は、単なる金持ちよりも見ていて面白い。それが、違いなのかな、と私は思う。」
( 百歳堂 敬白 )


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肉屋に、本物の肉屋と単にそれを職業としているだけの肉屋があるように、金持ちにも、本物の金持ちと単なる金持ちがいる。どの職種においても、「本物」というのは敬意に値するもので、多くの場合、彼らは生まれ付いての「本物」で、生き方が常人とは違う。しかも、本人はその事に無頓着な場合が多く、それも趣深い。



いまや、金持ちといえば、アメリカのIT関連というのが相場だが、「本物」となると、やはりヨーロッパ産が本場モノと言わざるを得ないだろう。
なにしろ、ヨーロッパには、いまだに金持ちにとっての抜け道が用意されている。秘密めいた、リヒテンシュタインのプライベートバンク、イギリス近くに浮かぶ島には、表面は穏やかな港町を装いながら、その実、何万という会社がひしめきあっているタックスヘブンがある。お望みならば、詳細な場所は言えないが、パリのどこかに、紳士のための秘密クラブも用意されている。、、、金持ちの歴史が違うのだ。


私の長年の観察によると、その彼らには共通した、幾つかの特性があるように思う。


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壱 「本物の金持ちは、罪の意識や、良心の呵責に悩むという事がない。」


古より、彼らの間では、「優雅なる無関心」というのが、その態度において、最も「シック」とされて来た。幼少の頃からの教育のおかげで、これは、身体に刷り込まれ、染み渡っており、その結果、彼らが罪の意識や、良心の呵責に悩むことはない。

例えば、、、さる国の皇太子が、王様の学校(事実、何人もの王位継承者が在校し、モナコのレーニエ大公も在校生のひとりだった)といわれたスイスのル・ローザを放校されたのは、校庭にあった500年ほど前につくられた典雅な噴水(それは、歴史的名所とも言えるものだった)をダイナマイトで爆破してしまったからで、そのことは、公然の秘密とされている。

当時15歳の少年が、どこから、それだけの量の火薬を用意できたのかは、いまだに不明だが、彼に言わせれば、それは、「ちょっとした好奇心」から試したコトにすぎなかった。、、、たかが、古ぼけた噴水のひとつではナイカ。わが国には、それよりリッパなものが、ゴロゴロしている。代わりが必要ならば、ひとつ寄付しよう、、、。


もし、彼らが多少なりとも罪の意識を感じるとするなら、それは次のようなケースに限られる。


、、、A伯爵は、友人数人を自宅に招いて夕食会を催していた。
宴もたけなわ、料理は、ちょうど、自慢の雉のジビエに及んでいた。この雉は、伯爵が先日、領地で自ら仕留めたものである。その武勇伝を披露しようと、客人を見渡したとき、だが、驚くべき光景が伯爵の目に入ってきた。
それは、本日のゲストとして招いた、麗しきアメリカ女性が、小さく雉を切りわけてから、おもむろにナイフを置き、フォークを右手に持ち替えて、いままさに、その上品な口に運ぼうとしている姿だった。(多分、60年代まで、何故かアメリカでは、こうしたテーブルマナーが教えられていた)

伯爵は、驚きのあまり、武勇伝の披露も忘れていた。そして、テーブルの隅で、母方の叔母である侯爵夫人の目がキラリと光るのを感じた。この叔母は、良い人なのだが、一族のウルサ方として知られている。とりわけ、マナーにはウルサイのだ。

結局、武勇伝は披露されることなく、料理はデザートのカラメルプデイングに至った。伯爵は、味の分からぬプデイングを口に運びながら、こうした場合、紳士としては、客人への気遣いとして、自分もナイフを置き、フォークを右手に持ち替えて、雉を食べる配慮が必要だったのではないかと、恥じた。、、、

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弐 「単なる金持ちは『その物』を買おうとするが、本物の金持ちは『その者』を召抱える。」


ハプスブルグ家やメデイチ家の例を出すまでも無く、彼らの、パトロン好きは、ヨク知られている。いま、世界中の美術館、博物館に飾られる『歴史的名作』の数々が、彼らの気まぐれによって生みだされた。


はたして、芸術家にパトロンは必要なのだろうか。この件に関して、過日、私は、ロンドンのジェントルメンズクラブのバールームで、友人の映画作家と論争していた。その友人は、最近、「最新作」をフェステイバルに出品し、高い評価を受けたところで、彼は当然、殺到する仕事の依頼でノイローゼに成るかも知れないと期待していた。だが、いまのところ、彼の電話は、ピクリとも鳴る気配はなかった。


ご機嫌ナナメの彼は、このバールームで唯一美味いと思えるメニュー、即ち、ビールを片手にこう言った、「芸術家という職業を発明し、確立したのは、そもそも金持ち連中だったはずだ。」彼は、ビールを美味そうに、喉を鳴らしながら飲み干した。 だから「早急に、責任を取って欲しい。」
株式操作の魔法に長けた大資本ではなく、「俺には愛すべき、エレガントなパトロンが必要だ。投資ではなく、退屈しのぎの『気まぐれ』を、契約ではなく、ただ『任せる。』とだけ言って欲しい。」ソウ言って、何杯目かのビールのお代わりを頼みに行った。


パトロンが、はたして彼の言うように都合の良いものかどうかは疑問の余地はあるが、大資本がパトロンにとって代わってからというもの、ある種のアートは存在しづらくなった。
確かに、芸術、芸術家にとって、必要なのは『気まぐれ』程度なのかもしれない。


「芸術」とともに、彼らが貢献した最大のものに、「料理」がある。
彼らが発明した職業に、もうひとつ、『料理人』というのがあることを忘れてはいけない。
つまり、お抱え料理人である。 料理の歴史はここから始まった。

大食漢として知られたルイ14世や、美食家として鳴らしたルイ15世をはじめとして、彼らの飽くなき食欲が、お抱え料理人をして、食を洗練させ、また必要以上にバリエーション豊かなものにした。


いまでこそ、料理界の頂点にたつフランス料理も、もとを正せば、アンリ2世が『メディチ家』からカトリーヌ王妃を娶ったことによる。

カトリーヌ・ド・メディチは、その野心と共にスコブるエレガントな趣味を持っていた。彼女は、フランスなどという野蛮な田舎にお嫁に行くのを嫌がり、故郷と同じく華麗な生活を維持できるよう、フィレンツェからお抱え料理人をはじめとする必要な「芸術家」すべてを引き連れて、やって来た。この料理人たちが、フランスに今の料理の基となるものを持ち込んだというのが定説となっている。(ちなみに、フランスに’フォーク’を持ち込んだのも、彼女だと言うことだ。)
そして、ご存知の如く、爛熟したベルサイユ宮殿では宴会に次ぐ宴会が行われ、そこでは競って豪華で華麗な料理が供された、、、こうしてフランス料理は発展しつづける。

それが、フランス革命後、王侯貴族のお抱え料理人達は職を失い、革命後のパリでレストランを開いていく。こうして、王侯のための料理はフランス全土に広がり、今日のフランス料理となっていった。 


それにしても、パリの料理人が、時として必要以上に傲慢に見えるのも、こうした歴史的背景がアルからなのだろうか。


ちなみに、パトロンと、そのお抱え料理人のエピソードで、私が好きなのはエドワード皇太子が、その料理人アンリ・シャルパンテイを召抱えるに至ったお話である。

時は19世紀、初頭。
皇太子は、美しい令嬢を伴って、保養に訪れたモナコのレストランに食事にお出でになった。美味しい食事も終わり、食後のデザートの段になった。皇太子はご機嫌で、気まぐれから、コースの締めくくりとして、何か今まで味わったことのないデザートをつくるよう所望した。
料理人のシャルパンテイは、はたと困った。エイ、ままヨ。彼は、思いつきで、クレープにリキュールをひっかけ、青い炎がちらついているままテーブルに供した。



「燃えているデザート」というのは、当時、画期的で、しかもクレープ自体が珍しく、また温度によって甘い芳醇な香りも愉しく,皇太子は大満足だった。
それで、彼は、料理人に思わず、このデザートの名を問うた。しかし、もとより、思いつきのもの。名前などあるはずがない。料理人は困惑したが、適当に「クレープ、、、クレープ・プリンスでございます。」と自信なく答えた。

皇太子は、それを聞いて、ドギマギしている料理人の目を見据えてから、おもむろに愛しい令嬢の目を優しく見つめ、こう言った。「そうか、、、クレープ・プリンスか、、、だが、今日から、このデザートの名は、クレープ、、、シュゼット。、、、そう呼ぶようにしなさい。」

「シュゼット」、、、それは、もちろん、この令嬢の名前だった。



翌日、料理人 アンリ・シャルパンテイの元には、使いの者によって、皇太子の紋章の入った召抱え状が届けられた。


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参 「本物の金持ちは、一切、金を持ち歩くことがない。」


思えば、チャールズ皇太子が、アメックスのブラックカードを自慢にしているとは考えにくい。財布すら持っているとは思えない。紙幣も、見た事がないのではなかろうか?だいいち、印刷された女王陛下を有難がらなくとも、本物が傍にいる。

或るロンドンのテーラーが言うのには、本物の金持ちのスーツと、単なる金持ちのスーツの違いは、「内ポケットをつけるかどうかにある」らしい。
つまり、本物の金持ちは、財布その他、一切(自宅の鍵すら)を持ち歩く必要がないので、醜い内ポケットは要らないというわけだ。(彼曰く、その他は特別変らないとのことだ。)


私の観察では、彼らが金を支払う姿も、いまだ見た覚えがない。

例えば、金持ちのランクとしては、少々下がるが、ダンデイで知られたイタリアの自動車会社の会長を、ヨク、或るニューヨークのナイトクラブ兼レストランで見かけたことがある。
彼は、友人数名との会食が終わるや、いつも颯爽と出て行った。離れた席に知人を見つけて、会釈を送ることがあっても、彼が勘定書とニラメッコする姿はツイゾ見なかった。

友人の誰かが、支払うのか、或いは、後で請求書が送られてくるのか、それとも、このレストランも、彼の持ち物の一部なのだろうか。

この店は、当時、ニューヨーク随一のワインセラーがあることで知られていた。集まる人種には、政財界の大物や、ハリウッド関係者が含まれていた。
そして、よく観察すると、この店では、食後、清算を求められる客と、ノーチェックの客の2種類の人種がいることに気づく。

ニューヨークの不動産王といわれた男には、勘定を請求したが、ロックフェラーには請求しなかった。アウ”エドンには請求したが、ミカ・アーテイガンには、多分、請求しなかった。

不思議なことに、本物の金持ちは、金を支払う必要がない。なにより、彼らは、そんな面倒くさいもの=金を持ち歩かないからだ。彼らは、資本主義国にいながら、どこか別の世界にいる。


そう、本物の金持ちに似ているものに、「文無し、浮浪者」がいる。どちらも、金を「持ち歩かない」ことと、それを世間が、認識している点では同類といえる。そして、形は両極端だが、どちらも、常人とは明らかに違う「金を支払わない」ライフスタイルを持っている。


このパラドックスを如何しよう。これは、誰もが推測はできるものの、その実態は、ナカナカ理解しがたいものだ。
ひとついえることは、彼らが、スキーに興じ、ヨットで地中海を巡り、洒落たスーツを誂えるとき、それは、単にそれだけのことで、そのための金のことなど、「考えるはずもない」という事実で、しかも、スキーもスーツも、彼らにとっては、どうでも良いことなのだ。


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本物の金持ちは、はたして幸せなのか? フロイトをはじめとして、「幸せは金では買えない」という赤ん坊みたいな理屈で、我々は彼らに一矢を報いようとするが、それは所詮、ひがみである。
どう考えてみても飛行機がファーストクラスのためにあるように、実態を知れば、残念ながら、その人生の扱いの差にがっかりすると思う。彼らを見ていると、フランス革命や、ロシア革命がナゼ起こったのかがヨク分かる。


残念なのは、最近、彼らの中で、退屈のあまり、「ジェットセット」などに成り下がる者が増えてきたことだ。ロンドンの「アナベルズ」、パリの「ニュージミーズ」、古くはニューヨークの「スタジオ54」で、彼らが単なる金持ち連中の餌食になる姿を目撃することができる。こうして、彼らもまた、俗っぽい「単なる金持ち」と成り果てる。


本物の金持ちが、幸せに、その人生をまっとうし、我々に憧れを抱かせ続けるるためには、2つの敵と戦わなければならない。すなわち「退屈」と、そして、自分と同じ本物の金持ち及びその家族とつきあわなければならないという事実だ。
















私は、この時期になると景気の良い話がしたくなる、、、
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by rikughi | 2005-06-24 00:39 | 1.本物の金持ち

「男の躾け方」 4 捨てる



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今はただ 恨みもあらじ 諸人の いのちにかはる わが身と思へば」
( 別所長治 、23歳の辞世の句)




「捨てて、生かす」



それは、不幸な社会のせいかも知れないけれど、鬱気味の人や、あまり幸せそうでない人を見るにつけ、いまの人は「捨てる」のが下手になったと思う。

誤解を恐れずにいえば、元来、日本の文化は「捨てる」ことに長けていたはずだ。
モノは大切にしたが、自分は、潔く「捨てた」。

「捨てて、生かす」というコツを、日本人は知っていた。

「捨てて、生かす」、この意味は、真剣による斬り合いを想像すれば分かる。

本物の日本刀を、実際に手にとってみると分かるが、普通の人は、その美しさよりも、先ず、恐怖感を覚えるはずだ。そして、真剣で、モノを斬るというのは、怖い。

その真剣で、自分が誰かと斬り合いになったとして、先ず、浮かぶのは自分が斬られるのではないかという恐怖感である。斬られると血は噴出すのだろうか、とか、或いは、誤って自分の剣で、足でも傷つけたりはしないかとか、とても、敵と戦うどころではない。

そのとき、剣豪と呼ばれる者は、先ず自分を「捨てる」。
別段、斬られても、死んでもかまわない。空気のように自分が無いものと思う。自分が存在しないから、恐怖もない。ただ、相手を斬ること、或いは、美しく立ち回ることのみを想い、念じる。

「無我」というのは、戦場にあって、自分を生かす術なのだ。


人を「斬る」というのはブッソウだから、唐突だが、人を「幸せにする」と置き換えてみよう。


「斬り合い」の例えをなぞると、幸せになれないのは、自分のコトばかりを考えているからだと、いうことになる。  男に魅力がなくなったのも、そのせいだろう。



「人の魅力」



は、自分の都合を考えすぎると迷う。 判断が澱む。 卑しくなる。
(このことに、早くから気づいたのは東洋思想ではないだろうか。)


大概の幸せは「関係」で成り立っている。「恋愛」も「家族」も「仕事」も、「関係」で、心地良い関係を維持できたとき、人は少し、幸せを感じる。


ところが、バカな私は、自分のことばかりを、苦しく考えている。そんな、汲々とした男と、貴方は付き合いたいと思うだろうか
女の人は、察しが良いから、この人には人を愛せないと離れていく。
あなたも、関係そのものが成り立たないから、私とは、それなりの距離を持ち始める。誰とも、その程度の付き合いになるから、私は、誰からも、期待をされなくなる。悪循環で、私はまた自分について思い悩むことになる。


ヨク、自分を見つめ直し、自己の内面を充実させ、とか言うけれど、あれほどの嘘っぱちもない。それは、社会を知らない、未成熟な人の言うことだ。


考えてみれば、当たり前のことだと気付くが、人の内面が磨かれ、充実するのは、様々な体験と、経験から得た知恵によるもので、実際の経験に基づかない「情報」では人は充実しない。

「知恵」と「情報」は違う。書物や人が与えてくれる「知識」と、自ら苦く味わう「経験」では養分が違う。

人が成長するということは、能動的なように見えて、実は極めて受動的で、「磨く」というよりは、「磨かれる」部分が大半を占めていると思う。



これは、ソコソコ、生きていると実感するが、人生において、自分というのは、単にこの「関係」のなかでの、一人の登場人物にしか過ぎない。自分を思い煩うよりは、人と接し、思い、幸せにする事を考える方が、実りが多く、悩みも少ない。 自己を探求しても、幸せにはなれない事に、なっている。



では、どうすればいいか。意外に簡単なことです。 



その壱 「捨てる。」
悩みというのは、大体は自分のことだから、自分のことを考えていないとき、自分がないときは、悩まないし、心が楽になる。
それに、どう生きるべきかを思い煩わなくても、この世の中は、どうにか生きていけるようなしくみにはなっている。

では、どうすれば、自分のことを考えないようにできるのか。 これも、簡単なことで、自分のことの代わりに、他人のことを考えればすむ。
誰かを喜ばせること、幸せにすることを考えれば良い。



その弐  「生かす」
コツは、自分の事を考えるぐらい深く、人のコトを考えることだ。

人は、自分のことはカワイイ。得をしたい、損はしたくない。それと、同様に他人の得と損、思いを考えてあげる。邪念を捨てて。これは、相手には魅力だと思います。

是非、こういう人とは付き合ってみたい。

ホラ、私はモウ貴方と、会ってみたいと思っている。そのうち、私は、そんなにしてくれる貴方のために、何かできないかと考える。「信頼」が生まれる。「関係」が生まれる。

「真理」は、いつも簡潔で潔い。 だが、簡単なだけに、出来る人と出来ない人に分かれるのも事実だ。

これは、煙草や、お酒を止めるのに似ている。要は、自分が飲まなければ済むことだが、色々と理屈をつけて、失敗する。だから、失敗すれば、また挑戦すれば良い、と考えるぐらいでよいと思う。つまり、習慣のものなのだ。



冒頭の句は、播磨国三木城主であった別所長治の辞世の句。秀吉の1年半にも及ぶ壮絶な兵糧攻めにあい、最後は、城兵、領民の命は助けてもらうことを嘆願し、それを条件に、自ら開城し、切腹自害した。享年、23歳だったという。

、、、戦国時代に生まれなくて良かった。



それにつけても、魅力的な男に出会ってみたいものだ。羨ましい程の良い男と、、、それは、私の滋養となるだろう。


、、、、いのちにかはる わが身と思へば、、、












魅力のある男とは、、、
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by rikughi | 2005-06-19 13:36 | 4 「捨てる」

「男の躾け方」 3 磨く  ~紳士のフェテイシズム?~




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その物は、いくつかの場面を除き、本人が思うほど、他人は気にかけることはない。
しかし、17世紀の君主は、自分が歩く必要がないことを誇示するために、つま先を象の鼻ほど長く尖らせ、また、18世紀の貴族たちは、シモジモと区別させるため、かかとを赤く塗らせた。それほど、これは、紳士の興味と冒険を誘った。
、、、通常、それは、極く簡潔に‘靴‘と呼ばれている。」
(百歳堂 敬白)
 


ロマンテイストのワイルドならば、「比較的、迷惑をかけない紳士の自己顕示」と呼ぶかもしれない、皮肉屋で知られたW.C.フィールズならば、即座に「見栄の固まり」と命名するだろう。

注文靴、、、それは、紳士のワードローブの中で、唯一、密やかな「フェテイシズム」の対象となっている。それは、「靴を磨く」という行為が付随しているからに違いない。

私が最初に、注文靴をオーダーしたのは、ロンドンのバーリントン アーケードにあった「ブール」という店だった。(残念ながら,随分前に、閉店してしまった。当時、同じアーケードに「モイコフ」という変わった名前の注文靴屋もあって、ここも定評があった。トウーゼックもそうだが、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー系~簡単にいえば、第2次大戦中 或いは、それを契機として、ヒットラーの圧制を逃れ来た移民の人たちのなかに、靴屋に限らず優れた人がいて、ロンドンで店を開いていた、その名残りが、まだあった時代です。)


日本にいると現実味が薄いが、「ヒットラーの圧制」(微妙な問題を含んでいるのでストレートな表現はできないが)というのは、事実、大きな爪あとをヨーロッパに残している。そして、その過程で、それから逃れて国を移った避難民の人たちの物語がある。これは、調べてみると、大変、興味深く、また考えさせられ、私は、ズット、資料をファイルし続けている。いつか書いてみたいが、外国人には、微妙な問題を含んでいて、本当に自分が奥底まで、理解できうるのか、確信が持てないでいる。

これは、ヨーロッパで遊んでいたときも、行く先々で形を変えて遭遇した。ある優秀な、陶芸家はハンガリー移民であったし、最近ではロンドンで知り合った70半ばのお婆ちゃんの話がある。
彼女は、素晴らしい布のコレクションを持っていた。

これらはフレデリック・アッシャーという、やはりホロコーストを逃れてきたファブリックデザイナーの手によるものだという。彼は、祖国で、すでに、それなりのキャリアと評価を得ていたが、30年代に、全てのものを打ち捨てて、ロンドンに逃れてきた。一から、やり直し、デイオール、シャネル、ワースなどという有数のクチュリエに布を供給するまでとなった。彼は、頑なに、自分が気にいったクチュリエ以外には布を売らなかったという。彼女の亡くなったご主人が、アッシャーと親しく、未亡人となったとき、何くれと メンドウをみてくれて、彼女だけに、もう継続しない柄と、クチュリエがはねた布をくれたという。
彼女は、仕立て屋だった母親といっしょに、パターンとドレスメーキングを教える仕事をし、私が会ったときは、すでに引退の身だった。(彼女の身の上話も印象的だった。)私は、お願いして、いくつかの布を譲ってもらった。

「ブール」という店は、1950年から、たった1年間だけ発行された、驚くべきクオリテイーをもった雑誌「フレアー」にも紹介されていたから、それなりの名はあったのではないか。事実、アメリカ人など、インターナショナルな顧客もいたように思う。
この店は、通常、上品なアーモンドトウを得意としていたが、店の奥には、昔のモノなのか、ドラマチックなチゼルトウもあった。それは、トウーゼック風というのではなく、いま思えば、パリのデイ マウロに通じる特異な美しさがあった。この店の出自は、そこら辺りにあったのかもしれない。
この店には、いかにも職人然とした親父がいて、東洋人の若者は珍しかったのか、とても仲良くしてもらった。唯一の彼の不満は、私がローファーばかり頼むことだった。

当時、私は、ヒモ靴がイヤだった。靴を履くとき、「靴ヒモを結ぶ」という余計な動作が増えるのが許せなかった。名刺をとりだすのに、モソモソする人と同じで、ドウモ、好きになれなかった。



親父は、或る日、一計を案じた。ブラブラと店に入ってきた私を捕まえて、一足の靴を差し出した。それは、昔、エリック・ロブがヨク作っていたような、一見フルブローグにみえて、インサイドの土踏まずの処にだけ、大きくゴムがはられたものだった。レイジーマンシューズというのは知っていたが、これは、内側の見えないところだけ、エラステイックなので、全く、フルブローグに見える。ためつすがめつ、靴を眺める私に、コイツもやっと分かってきたかという満足の表情で、親父は「フ、フ、フ、、」と笑った。

「旦那、これならヒモを結ぶ手間もありません。しかも、ご覧下さい、この趣のあるウイングの形、カウンターのカーブ、ウチのは他のブローグとはパターンが違います、そして、この、、、」
得々と説明を続ける親父を遮って、私は言った、「親父、この靴の磨き方を教えてくれ。」、ソウなのだ、この靴は、いままでに見た事がないほど、ツヤツヤ光り、全く別物の魅力を放っていた。



親父は、虚をつかれ、しばし言葉を失った、そして、ひとつ首を振るとアキラメタようだ。コイツに、シルクリボンを結んだ優雅なオックスフォード、趣のあるパーフォレションで全体を飾ったカントリーフルブローグについて、いくら言葉を費やしたトコロで無駄ダ。どうせ、おかしな東洋人ではナイカ。そう、アキラメテくれたようだ。

ブール親父の「紳士の靴の磨き方」、ただし、注文靴用、


<壱>  先ず、アルコールと水を1:1で混ぜ合わせ、クリーニングウオーターをつくる。

 <靴を清潔にする。>

巷間、様々な靴のメンテナンス方が紹介されているが、要は、自分の顔の皮膚を思えば、感覚が掴めると思う。先ずは、汚れを落としてやらなければ、色々なトラブルの元となる。
洗いすぎれば顔がヒリヒリするように、お化粧を落とさなければ皮膚が荒れるように、同じことが、靴にも言える。一日、履いた靴は、その日のうちに、汚れを落としてやらなければいけない。


<弐> キッチン用のスポンジを軽く濡らし、サドルソープをつけ、手で2~3度揉んで泡立てる。これで、前方に押し出すように、靴を洗う。ソール、コバも同様に洗ってやる。
サドルソープがない場合は、水だけをスポンジに含ませて、同様に洗い。しばらく、乾かした後、牛乳を水で薄めたものを、布にふくませて、軽く拭く。(ただし、これは、あくまで代替案で、サドルソープがあるなら、その方が良い)

<参> サドルソープも、牛乳も、動物性の脂肪を含んでおり、革には、時々これを補充してやる必要がある。こうして、靴を洗うのは、普通の履き方で、年に2~3回程度。ただ、雨に濡れて、浸水したときなどは、洗ってやった方が良いかもしれない。


<四>サドルソープで洗った靴は、しばらく乾かしたあと、泡をスポンジでとってやる。泡は、乾くと白く残ってしまうからだ。これで一日目は終了。時間にして4~5分で片付くと思う。

<五>一日、乾かした後、壱で用意したクリーニングウオーターを布に含ませ、磨く。コバ、靴底、ヒモを通す穴のあたり、、、細部にわたって、磨く。
これで、あなたの靴は、清潔になった。いわば、「スッピン」の状態に戻ったわけだ。


<お化粧をする>

お化粧をしている女性と、していないのと、ドチラが好みかと問われれば、している女(ひと)を選ぶ。男とはそういうものだ。女性の場合、お化粧も含めたものが、人相だと思う。そういう意味では、靴は女性的なのかもしれない。
コツは、クリーム、ワックスの類は、極く控えめにすること。そして、革が、それらを吸収する時間をタップリとってやること。


<六> 「スッピン」になった靴に、色をのせる。黒い靴なら黒い靴クリームを。
私は通常、サフィールのビーワックス入りのクリーム(ワックスではない)か、メルトニアンのものを使っている。多くが靴屋からもらったものだが、これ以外には、COXYというドイツ製のものがある。
先ず、キッチン用のスポンジを約5センチ四方に、ハサミで切り、これに靴クリームをつけて、全体に万遍なく塗る。スポンジを使うのは、布よりも均等にのばせるからだ。コバ、コバと靴の隙間も、専用のブラシか、歯ブラシを使って塗る。クリームは極く控えめに、厚塗りは決してしないこと。
今日の作業もココまで、靴は一晩寝かせる。

<七>一晩、寝かせた靴は色をとり戻して、少女のようだ。優しく、やわらかい布(Tシャツなど)で、小さく弧を描きながら細部まで磨いて、余分なクリームをとっていく。
次に、ビーワックス入りのワックスを、布に少量づつ(シェアのマルクスは、「タッチ」<ワックスに触るぐらいの少量。>と繰り返していた)取りながら、靴全体に伸ばす。
そして、一晩寝かせる。

ここで、紹介するのは、あくまで古来伝統の紳士の靴の磨き方で、いま、パリなどで流行る「グラサージュ」(ワックスと水を繰り返し塗って、革の表面に膜をつくって光らせる)などの即席の「光らせ方」ではない。
「グラサージュ」では、ハードワックス、水分を失った古いワックスを使ったりするが、それは、革に吸収されず、表面に残って膜をつくりやすいからだ。
ここでは、革そのものが光沢をもつように育てることを趣旨としている。
ビーワックスが、革に吸収されるには、最低7時間は必要だ。この方法では、確かに日数がかかる。しかし、一日に要する時間は毎回4~5分程度だ。これなら、一日のスケジュールへの負担はないし、「グラサージュ」のように、血相をかえて、靴と格闘する必要はない。(そう、「グラサージュ」は案外、時間がかかる。)まず、優雅な紳士の戯れとしての体裁は保たてる。

<八>さて、ようやく靴に輝きを与えてやる段になった。先ず、スポンジを約3センチ四方に切り、小皿に乗せ、壱でつくった、クリーニングウオーターを含ませる。磨く布は、通常、古Tシャツのような柔らかいものを用意するが、店では、シルクシフォンを使うことを薦められた。
布をスポンジにチョット触れる程度、湿らせ、小さく弧を描きながら磨いていく。5センチ四方ぐらいづつを、丁寧に磨いていく感じが良いと思う。5センチ四方が終われば、その都度、水分を摂って、次の5センチ四方に移っていく。スポンジを使うのは、必要以上に水分をつかわないためで、スポンジに触るぐらいの水分が適量ということだ。
磨くのに飽きたら、そこで止めて明日にしてもかまわない。

<七>と<八>の作業は、最低2回ほどは、繰り返した方が良い。つまり、一度、全体を磨き終わったら、またワックスを<七>の要領で、塗り、一日寝かして、また<八>の要領で磨いていく。
磨いていくと、段々と、布に抵抗を感じなくなるはずだ、其の度ごとに、えもいわれぬ光沢が浮かび上がってくる。

この要領で、磨いていくと、革は年々光沢を持っていき、年数が立てば立つほど、靴は立派になって趣をもちはじめる。

注文靴用と最初にことわったのは、革の質と靴の構造の違いが、既成靴とはあるからだ。例えば、良い革は、こうしたメンテナンスで、より良く育っていくが、メンテナンス次第で、悪い革が良くなるかというと、残念ながら、そんな魔法のようなことはおきない。
 


ブールの親父から、教わったのは、他に、靴を脱いでから5分以内にシュートリーをいれること。革がまだ温まっている間に、いれてやらないと、シワを伸ばし、形を整えるという意味がなくなるといわれた。もうひとつ、靴を履くときと同様に、脱ぐときも靴ベラを使うのがコツだとも。

それにつけても、近頃の靴ベラの貧相なこと。ほとんどが、15~20センチほどの短いものだが、あれは、あくまで旅行用です。本当の靴ベラ(英語では、シューホーンという)は、杖ほどの長さ(100センチ~ほど)があるものです。つまり、立ったままで、使えるものでないとシューホーンとは言えない。そして、良い、堅い木でできていること。いちいち、座って、靴ベラをつかって履くのと、立って余分な動作なく、靴を履くのとでは、男の姿が違う。
そして、この時、一番、すっきりとした動作で、履けるのは、やはりローファーなのだ。









紳士の完璧な靴の「磨き方」、、、
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by rikughi | 2005-06-09 10:14 | 3 「磨く」