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「男の躾け方」 5 友人



「友人を頼りにするような奴に、一人前の男はいない。しかし、頼りにできる友人も持てない奴は、男としての価値が薄い。」
(旅の末に、住みついてしまった異国で逝った、敬愛していた叔父貴の言葉。嘘みたいな話だが、叔父の最後の言葉は『旅はゆっくりするものだ』だった。、、、ゆっくりしすぎたね、叔父さん、、、  百歳堂 敬白)




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「友人」というコンセプトにおいて、最も先進国なのは、英国、特に、ロンドンといえるかも知れない。

それにしても、私には、ロンドンに限らず、ヨーロッパ社会における「友人」と、現代の日本における「友人」というのでは、その概念において違いがあると、どうしても思えてしようがない。


その違いは、簡単にいえば、かの社会においては、男として生きていくには、「友人」が必要不可欠だが、いまの日本では、多分、いなくてもやっていけてしまう、というコトにある。
逆にいえば、「友人」がつくりにくい、或いは、「友人」をつくれない人が多いのが、日本の現状で、しかも、そういう社会が当たり前になってしまった、とも言えそうだ。


つまり、「友人」というのは、社会のあり方によって、かなり違ったモノになるコトに気づく。

ロンドンが先進国だと言うのは、ロンドンの社会が、男にとって、「友人」がいることを前提とした社会になっている、ともいえる。


「先進国」というには、当然、それなりのノウハウ、システムを持っているハズで、その代表的なものに、「学校」と「クラブ」があると思う。




「ジェントルマンズ クラブ」


金曜日の夜には、クラブで食事をする、、、

というのが、「紳士の習慣」で、これは、ロンドンでは、いまだにそうだと思う。
金曜に限らず、週に2~3度は、クラブのバールームに顔を見せて、雑談とビールかワインを愉しむ。これも、かの地では社会的に認知されている。


いまは、どこのクラブも、バールームとデイナールームまでは、メンバー以外のゲスト、女性も入れるよう配慮されているから、クラブで、奥方或いは恋人とデイナーを愉しむこともできるわけだが、根本的に違うのは、ロンドンの紳士は、「男の付き合い」というものを堅持し、認知させてきたことだと思う。


d0004856_1412253.jpg紳士は、どこかのクラブのメンバーであり、家庭生活とは別に、「男の付き合い」があって、それを、とやかく言われるコトもなく、離婚の原因にもならない。

その「男の付き合い」の最後の牙城が「ジェントルメンズ クラブ」である。

ジェントルメンズクラブは、もともとは、政治的意見を同一とするものが結束して、勢力を確固としたものにしようと、クラブを作ったことが始まりとされている。だから、いまだにロンドンでは、ポリテイカルなクラブというのは脈々と存在し続けていて、これが本筋といえる。

それが、いつの頃か、政治ではなく、オートモービルクラブのように趣味を共通としている者、或いは単に社交のためのクラブというのが出来始め、今ではソーホーなどに、もっとプライベートでファッショナブルなクラブが登場し始め、ニューブリッツで賑わっているらしい。


私は、ホテル クラリッジスの隣の、或るクラブのメンバーだが、クラブの年会費というのは、思うよりは、ごく少額なもので、と言って、メンバーになるのに特別な資格が要るかというと、そういうことでもない。


「メンバーになるには」

では、どうやってクラブのメンバーになるのか?ここに、英国の「友人」というものに対する考えがあらわれていると思う。

メンバーになるには、先ず、既にメンバーである者が後見人となって、これからメンバーにしようと思う者の名を、百科事典のように分厚い、革張りの「キャンデイデイト(候補者)ブック」に書き記す事からはじまる。
クラブには、設立以来の「キャンデイデイト ブック」が後生大事に保管されており、そこには、チャーチルの名も、ワイルドの名もあるはずだ。身分の貴賎に関わらず、メンバーになるには、この伝統的とはいえるが、明らかに面倒な手順から逃れることはできないコトになっている。


「キャンデイデイト」、、、つまり、「立候補する」ことから始まるのが、いかにも英国らしい。フィットネスクラブのように、本人が事務局に申し込むというのではない。メンバーは、コイツは我がクラブに必要だと思えば、「勝手に」いつでも立候補させることが出来て、逆にいえば、本人が、直接、クラブに入会を申し込むことはできない。



立候補というからには、選挙活動が必要で、何をするかというと、「キャンデイデイト ブック」に名を連ねた日からウムを言わさず、後見人に、毎夜、毎夜、クラブのバールームを引き回されるハメになる。



貴方としては、心にのこるスピーチでも、この日のために準備したいところだが、その必要もなくて、ただ紹介されるままに、相手と雑談すれば良い。
話題は、ごく自然なもの、、、確か、私が話題にしたのは「タイ式マッサージが、パリのモーリスのエステよりも、いかに優れているか」とか、「象を仕留めるのにはライフルよりも弓の方がエレガントだとか」、、まあ、そういった、取り留めのない話でけっこう。つまり、いつも通りの魅力的な貴方をみせれば良いだけだ。


ひとしきり話題が弾んだところで、後見人は、そのメンバーにソッと囁く。「ところで、コイツを我がクラブの新メンバーにしようと思うンだが、推薦人の一人になってもらえないかね。」
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相手が承諾すれば、後見人はそのメンバーをリーデイングルーム(大概、キャンデイデイト ブックは読書室に置かれている)につれていって、貴方の名前の下にある推薦人の欄にサインをしてもらう。


気をつけなければならないのは、推薦人に名を連ねてもらったからといって、相手に「有難う」とか、握手を決して求めないことだ。これは、あくまで貴方が知らない所で、為されたことで、貴方は、相手が推薦人になったことは「知らない」ことになっている。


たとえ、後見人がソッと囁く手間を省いて、貴方の目の前で、露骨に「推薦人になる」ことを、相手に強要するのを見ても、(大概、そうだが、、、 ) 貴方は「知らない」ことになっている。あくまで、知らない間に、推挙されたのだ。


メンバーになるには、簡単にいえば、より多くの推薦人がいることが決め手になるわけだが、欲を言えば、力のあるメンバーのサインがある方が望ましい。

力のあるメンバー、、、それは、通常、「コミテイー メンバー」(クラブの各種の委員会の委員を務めているメンバー)と呼ばれる人たちである。


「クラブの老人」


この「コミテイーメンバー」の多くは、バールームに数百年、取り残された置き物と間違えそうな、年季のはいった「老人」と相場が決まっている。

私の推薦人のひとり、ジョージ(クラブでは、いくら年上であろうと、初対面であろうと、メンバー同士はファーストネームで呼び合うことになっている)は、やはりコミテイーメンバーで、ロンドン郊外に住むサイエンテイストだった。


郊外に住んでいるので、クラブに顔を見せる時は、上階の部屋に宿泊している。(クラブには、大概、遠方から来たメンバー、或いは何らかの理由で、奥方に家を追い出されたメンバーのために、宿泊できる部屋が10数部屋、用意されている。)

クラブに「老人」はつきものだ。英国の「老人」というのは、興味深い人種で、これを見物するためだけでも、クラブに入る価値はあるように思う、、、イヤ、ホント。実は、私は、ひそかに、この分野においてはエキスパートであると自負しているのだ。

私が、この人種に興味を持ったのは、ひとえに、「男は、いかに歳をとっていくべきか」という、きわめて哲学的な命題に対するサンプリングにある。それには、「ジェントルメンズクラブ」は、格好の場所ともいえる。

ただ、彼らは多くの場合、一種の「冬眠状態」、、、ビールを飲んでいるか、タイムズを読んでいるか、或いはホントに居眠りをしている、、、にあるので、観察するには、少し「エサ」を投げかけて目覚めさせる必要がある。

目覚めの「エサ」とは、会話の種である。彼等は、実に話し好きなのだ。
私の観察では、彼らの大好物は、政治、或いは政治家の悪口と相場が決まっている。
かつての格好の話題は、「鉄の女宰相」であった。彼女こそ、不当にも彼等を「英国病の元凶」のひとつ(事実、その通りだと思うが、、、)として名指しした本人である。
彼女についての会話のシメククリは、大概、決まっていて、「なにしろ、彼女は、ジェントルメンズクラブにも所属できないからナ」(女性ダモノ)というものだった。

彼等と話し、つくづく、観察した結果、分かったのは、私の意図に反し、意外にも彼等は自分が「歳をとった」という意識が薄い、ということだった。もっと正確にいえば、外面上は歳をとったが、内面は30代のときと変らないと、意識しているサンプルが多い。さらに、一歩踏み込んで、私が憶測するに、彼等はいまだ「成長過程」にあると信じている。

「男はいかに歳をとるべきか」、、、この命題に対する答えは宙に浮いてしまった。彼等は、実に貪欲で、色恋沙汰はもちろん、かなり大人げない行動もする。友人の父親は、いままさに、通算4回目の結婚をしようというところで、相手は友人より若いロシア美人である。しかも、離婚の度に、地所を切り売りするので、友人は悲嘆にくれている。

彼等は、いまやコワイもの知らずなのだ。一応の金は手にいれた、仕事も成し遂げた、浮世のしがらみからの体面を保つコトも、自分をゴマカスことも必要なくなった。後は、愉しむだけだ。

そう、ココで学ぶべきは、「男はいかに人生を愉しむか」であって、「歳をとるべきか」ではない。実際、彼等の何人かは、自分の歳も正確に思い出せなかった。(単に、ボケただけかも知れないが、、)


そして、「いかに愉しむか」のなかには、「友人との付き合い」が必ず含まれている。不思議なことに、彼等は一人では愉しめないのだ。「社交」という概念は、日本で思っているより、ズット深く、そして自然なものとして根付いている。(社交好きの彼らにとって、日本の「オタク」という概念は不思議らしく、私は、一度ならず、質問を受け、説明を試みたが、どうにも理解されなかった。英語では「コレクター」「メニアック」という概念はあっても、あの独特さを伝える概念はないと思う。あえて言えば、ちょっと皮肉な言い方だが、靴オタク=「shoe kids」といったところが近いだろうか)


ただ、やみくもに付き合うのではなく、「友人」と付き合うのだ。


「友人の条件」


彼等のいう「友人」とは、おおざっぱに言うと

その壱  「育った環境、或いは現在の自分の環境と、それを同じくする者」

その弐  「経済概念、金銭感覚を同じくする者」

その参  「ユーモアの感覚を同じくする者」

これらを踏まえた上で、「興味深い人物(interesting person)」ということになる。

「クラブ」が発達したのは、こうした「条件」をもとに事前に濾過してくれる「フィルター」の役目を担っていたからだと思う。だからこそ、クラブのメンバー同士は、たとえ初対面であっても、一種の不思議な「信頼感」をもっている。

「英国病の元凶」といわれたのは、往年、大きな商取引のほとんどが「クラブ内」で済まされていたからだ。クラブのメンバーには、大企業のトップたち、投資家たる大貴族たち、有力な弁護士もいれば、会計士もいる。すべてを、クラブのデイナールームやリーデイングルームでの囁き話ですませることができた。すべては、密室のなかでおこなわれていたのだ。

英国の「友人」という概念は、形を変えた「帰属意識」と言い換えられるかもしれない。

いまだに、いくつかのネクタイ屋ー例えば「デボネア」などに行くと、「クラブタイ」の一角が設けられていたり、ウインザー公が好きなタイとして「ガーズ(近衛兵)タイ」を挙げて、実際、愛用していたことからも分かるように、この「帰属意識」というのは、案外、彼らの中で大きな部分を占めている。


彼等は、「帰属意識」に基づいて、「友人」をつくり、それは、生きていくうえでの「環境」をかたちづくる。
だからこそ、「友人」は不可欠なのだ。スイスの名門校「ル ローザ」に、成金たちが息子を入学させたがるのも、そうした「環境」を息子のために用意したいからだ。


ヨーロッパの「階級社会」が続くのは、こうした「帰属意識」に基づいた「環境」が受け継がれている事によると思う。ただ、これは受け継がれていったものなので、階層を飛び越えたい者を除いて、極く当たり前のことなのだ。


それと、これは上手く説明できないが、かってのヨーロッパ社会においては、階層同士が互いをリスペクトし合っていた。有産階級は、そうでない階級にたいして、ある種のリスペクトを持っていて、どちらも互いに認め合っていた。それが崩れたのは、どの階層においても尊敬に値する人物が少なくなった現実と、「金」という存在が大きくなりすぎた事によると思う。


英国における「友人」というのは、「帰属意識」を形作る「環境」であり、それだけに「条件」が設定されている。考えてみれば、誰とでも、「友人」になれるわけもない。ただ、それだけに、一度選んだ「友人」に対する礼儀、忠誠は自然ではあるが、深い。そして、男の人生において、「友人との付き合い」は大きな部分を占めている。

思うに、わが国においては、「会社」や「仕事」が優先して、「友人との付き合い」は軽視されているのではないか。真剣に「友人」を選び取り、自分なりの「環境」を創り上げ、「付き合いを愉しむ」ことは、通帳のケタ数を増やすよりは、ズット人生を実り豊かにする。その簡単な事実が、分かりにくい社会になりそうなのが不思議で、残念に思う。










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by rikughi | 2005-08-13 00:46 | 5 「友人」