<   2006年 05月 ( 2 )   > この月の画像一覧

「日々の愉しみ」 1.シャツとネクタイ





「昔々、百戦錬磨の女友達がノタマッタ、、、シャツとタイの着こなしを見れば、大概、その男の質は分かるワネ、、、フ~ン、そういうものか、、、。」

(百歳堂敬白)




d0004856_1305683.jpgネクタイ如きで、男の質を問われても困ってしまうが、極く、昔風の英国流儀でいえば、スーツは「完璧」に着こなさなければならない、、、コトになっている。

この「完璧」というのが誤解を招きやすいのだが、それにしても、私が、街で見かける限り、多くの人のスーツの胸元は、「ジミすぎる」か、「オモシロすぎる」ように思える。

言い換えれば、古今東西を通じて、「ジミすぎ」、しかし、こちらの意図があからさまに映るほど「目立ちすぎ」ナイ、、、これが、男のタダシい姿だと思う。

ジミすぎるのは貧相にみえる。しかし、お洒落をしていますという意図が、人にわかりすぎるのも品がない。

「意図」がわからない程度に、だが、巧妙に仕組まれていて、チャームがあって、本人の品格もあげてくれる装い、、、ソウありたいモノだが、これは、男の熟成度や趣味の良さ、育ちというものを背景として生まれる。


残念ながら、そう簡単には身についてくれないのだ。


それで、バックグラウンドをもたない当方としては、高価なものでも身につけておけば、ナントかなるだろうと思いがちだが、

セブンフォールドの20オンスのタイとか、200双のシャツとか、ソウいうことは、店の人が考えることであって、それを、ただ身につけたからといって、エレガントにはなれない。所詮、タイやシャツが目立つぐらいで、本質には結びついていかない。

シャツやタイは、モノではあるが、モノを見せるのが男の装いではないということだ。  第一、肝心の本人よりも、タイの方が評判が良くて、中身よりも高価にみえるのではオモシロクないではナイカ。「着こなし」というのは、あくまで、中身の貴方が評価されなければならない。


、、、さて、困った、、、


しかし、多くの事が歴史から学び取れるように、近代的なラウンジスーツの発明以来、少なくとも100年はたっているはずだから、そこには紳士たちの冒険と挑戦の記録とともに、ノウハウは蓄積されているハズだ。


d0004856_14173676.jpg先ず、シャツとタイの組み合わせ、、、

或る週末、私は、ヨークシャの緑に囲まれたお宅に、お世話になっていた。私は、どこでも寝坊なので、遅い朝食を摂りにモーニングルームに出向いた時には、既に友人たちは、朝の散策に出掛けてしまった後だった。


大きく開かれた窓の外には、5月の陽光が輝いていたが、部屋の中は、どこか、夏の木陰のようにヒッソリとしていて、
出遅れた私と、給仕をつきあってくれるバレット氏(主人の身の回りの世話をする召使、服の管理を任されている。いまや、絶滅の危機に瀕している、或いは、ほとんど絶滅してしまった種族といえる。)の二人っきりだった。

巷の「予定(=スケジュール)」から取り残された「無為な時間」ほど、リラックスできて、貴重なものはナイ、、、ト思う。ダカラ、私はイツモ、寝坊することにして、午前中は自分のモノにしている、、、というのは単なるモノグサの言い訳か、、、

しかし、おかげさまで、このときも、文字通リタップリとした英国式朝食(英国の田舎屋でグルマン的関心を満たしてくれるのは、コノ朝食と、もし、幸運ならば、年代モノのポルトワインだけと思った方が良い)を、友人の話への相槌に気をつかうこともなく堪能できた、、、


ソレはさておき、私は、手持ち無沙汰もあって、興味半分に、バレット氏に、日々の「職務」について質問した。なにしろ、サビルロー辺りの古のテーラーとともに、「バレット」といえば、英国が誇る、服の「番人」の双璧ではないか。

「いったい、シャツとタイの組み合わせに法則というのはあるやなしや?」(ダンデイとして評判の当家の主のシャツとタイは、実は、このバレット氏が日々、都合をつけているということだった。)  彼、曰く

「なに、簡単でございます。格子のシャツには、ストライプか、無地のタイを、ストライプのシャツには格子のタイか、無地、もしくはストライプのタイを、無地のシャツには、ストライプでも格子でも、柄物のタイを合わせるコトです。」

、、、いかにも、職業的な明快さである。  ただ、不思議に、このバレット氏は、水玉のタイには触れなかった、、、

ごく、個人的な趣味で言えば、ストライプのシャツに水玉のタイを合わせる人もいるが、アレは、少し「意図」が見えすぎていて、好みではない。

ピンドットぐらいの細かい水玉が点在したタイを、ストライプの間隔の広いシャツにあわせるというのは悪くはないと思うのだが、ストライプとドットの組み合わせは、グラフィックすぎて、あまり奥行きを感じさせない。

同様に、チョークなどのストライプのスーツに、ドットのタイを合わせるのも、何か「深味」を感じさせない。ドットのタイは、無地のスーツに合わせたときにこそ、スノッブな輝きを持つように思う。


例外があるにせよ、タイとシャツの柄あわせは、よほどの冒険好きでない限り、バレット氏が指摘するような程度でコト足りる。



ちなみに、かつての紳士の朝の身づくろいというのは、この気心のしれた忠実なバレットに、手厚く、手助けされながら行うものだった。

バレットは、シャツのアイロン、靴のひかり具合、背広のブラッシングなどは、もちろんのコト、主人のファッション的な冒険心を理解しつつも、いささか度を越したチャレンジには、控えめに「およしになった方が、、」と指摘もしたことだろう。

つまり、家を一歩出る前に、その着こなしが、エレガントか、主人にふさわしいものかという、第3者のフィルターがあったということだ。十分、身づくろいに時間もかけられた。だから、紳士は紳士たる装いが、日々まっとうできた。

そういうシステムだったのだ。




「グラマラス」と「シンプル」

さて、無地のスーツに無地のシャツ、無地のタイという組み合わせが、最も 「シンプル」 とすると、柄のスーツに柄のシャツ、柄物のタイというのが、最も 「グラマラス」 ということになる。

同様に、ブルーの背広に、白いシャツ、ブルーのタイという、同系色の組み合わせが 「シンプル」 とすると、ブルーのスーツに、エンジのシャツ、ゴールドのタイという風に、色を重ねていくのが 「グラマラス」 ということになる。


簡単に言えば、この「シンプル」と「グラマラス」の間で、d0004856_2464754.jpg

1.いかに、その人らしい「奥行き」を作って、(「奥行き」というのは、例えば、単純なストライプのタイではなく、地紋のある「ストライプ風」のタイにするとか、、、マア、その程度のヒネリといえる。)
2.「魅力的な」 (チャームのある)装いをするかということである。

コツは、昼の装いは、少し「グラマラス」な方がまとめやすく、夕べの装いは、いかに「シンプル」さのなかで奥行きをつくるかということにある。


上の2葉のイラストを見てみよう。どちらも、男の定番といえる、クラッシックなものだ。

3ボタンのライトグレーのスーツの彼は、淡いブルーに白い襟のクレリック、濃い紺地のストライプタイという組み合わせ。なかなか上品で、チャームもある。
ここでのポイントは、ブルーの無地のシャツではなく、クレリックを合わせている所で、これが「奥行き」を作っている。それも、クレリックの濃淡の差がないのが良い。淡いブルーと白襟、薄いグレーと白襟のクレリックシャツに、色の濃いタイというのはなかなか上品な組み合わせだと思う。



濃紺のダブルヴレスッテドの彼は、もう少しグラマラスだ。ブルーグレー地に、濃紺のストライプが入ったクレリックに、スーツよりも濃い目の、飛び柄のタイという組み合わせ。端に、格子模様が入ったポケットチーフなど、いかにも30年代の「良き着こなし」の、好例だ。

ここでもクレリックが、組み合わされているが、地色の濃いストライプをクレリックにすることで、適度な「抜け」がある。小さめのクラッシックな襟も、「やりすぎ」になることを、微妙に抑えている。

この、濃い目の地色にストライプというクレリックシャツは、意外に組み合わせがきいて、かつチョット、ヒネリがある装いになる。魅力的だが、そのままシャツに仕立てるには、強すぎるかナと思われるストライプは、クラッシックな襟のクレリックに仕立てることを、お薦めする。こういうシャツを、2,3枚もっていると、着こなしも楽しくなるだろう。


この、2葉のイラストが、どちらも70年以上前の着こなしであることを思えば、男の装いというのが、どのようなものかは容易に察しがつく。



「着こなしと、奥行き」


d0004856_15352999.jpg 「スーツ姿が板についてきた」という言葉がある。本来、そのためには年季というのが、モチロン必要なのだが、スーツの着こなしの上手い人をみていると、ある種のコツがあるように思う。

これが、いわゆる「着こなしの奥行き」というもので、

先ず、初歩的な気の使い方としては、


その壱 「単純明快過ぎる図形の組み合わせは避ける。」 ということだ。


つまり、ストライプのシャツに、明快すぎるストライプのタイをあわせてしまったのでは、意図が見え過ぎて、着こなしが薄っぺらに映る。
この場合、単純なストライプではなく、ストライプ風にみえる柄物のタイ、もしくは飛び柄、或いは地紋や、色が織り込まれた無地のタイをあわせると奥行きがでる。
逆に、明快なストライプのタイを合わせたいときは、シャツを、趣き深い綾織、或いはシャドーストライプ(無地のドビーパターンも案外にイケル)にする、という具合。

これに、ポケットチーフを(チーフの色は、タイではなく、シャツに合わせるのが原則だ。だから、白い襟のクレリックには、白無地のチーフが、最も素直に映る。)無地にするところを、柄物にすると、より着こなしが趣き深くなる。


例えば、上のイラストのシャツとタイ、チーフの組み合わせは、ストライプのシャツに紺地に飛び柄のタイ(いささか、柄のパターンがモダンすぎるきらいがあるが、、)の組み合わせ。
これだけだと、程の良さはあるが、少し素直すぎるところを、格子模様のチーフをあわせることで奥行きをつけている。

この場合、タイをいじらずに、チーフで変化をつけているのが正解で、実際、スーツにあわせた場合を思い浮かべれば、この程度で十分といえる。



大人の着こなしとしては、気をつけるべきは、「ヒネリ」すぎて、ソレが見えすぎないことだ。「程の良さ」、時には、ワザと「ハズす」余裕が肝要で、あくまで、身についたエレガンスを表現しなければならない。


マア、実際、一度、スーツを着てしまえば、自分がどんなモノを身に着けているかは、忘れてしまった方が良い。マタ、忘れてしま得るには、「完璧」な組み合わせでなければ適わない。


もうひとつのコツは、、、これはいかにもヒネクレて聞こえるが、


その弐 「一度、決めた組み合わせは変えない。」ということだ。


これは、誤解を生みやすく、上手には説明し難い。ただ、それなりの紳士ならば、いまでもソウしていると思う。

とりあえず、スーツを新調したら、それに合わせて、シャツとタイ、ポケットチーフ、できれば靴も用意するベキである。
逆に、例えば、黒いオックスフォードしか、持ち合わせがなければ、チャコールグレイ、或いは黒地(ストライプが入っていようが、無地だろうがかまわない)のスーツ以外は頼むベキではナイ。
それが、一番、黒のオックスフォードを素直に、美しく見せる組み合わせだからだ。(私の好みは、英国の60年代風に仕立てられた、フラノの黒地にオフホワイトのチョークだ。)


こうして「完璧」に用意された、一揃いは、クローゼットのハンガーレールに、スーツ、シャツ、タイと合わせて吊り下げ、そして、できれば、その足元には、マッチさせた靴と靴下も一緒に置いておこう。こうすれば、朝、着替えるのに、いちいち取り出す手間もない。

身づくろいには、時間をかけるべきだが、毎朝、シャツとタイの組み合わせに迷うのは男子のすべきことではないと思う。身づくろいとは、丁寧に髯を剃り、髪を整え、背広にブラシをあて、タイを優雅に結ぶ、そのようなことである。

こうして、決められた一揃いを身に着けていくうちに、シャツの襟の芯地は、ほどよく馴染み、チーフの見せ加減も分かってくる。10年もたてば、そろそろシャツの襟も変えどきかもしれない。不思議に、同じ一揃いでも、年数とともに着こなしの印象は変ってくるものだ。


そして、長年の間には、あなたは、旅先でフラリと入った店で、「偶然」にも、ピタリと合う靴下を見つけるかも知れない。(モチロン、「偶然」というのが正しく、探し回ってはイケナイ。)或いは、数年経った或る日、タイはもう少し暗い方が良いナ、と気づくかもしれない。

それらは、パズルの失われていたピースのように、あなたの装いに、ピタリと嵌め込まれていく。


ナゼ、地味スギズ、目立ちスギナイことが必要かというと、長年、着続けるためには、そういうものしか適わないからだ。


あなたに、会ったときは、素敵にエレガントなので感心するが、あまりに自然な着こなしなので、別れたあと、どんなタイをしていたかはハッキリ思い出すことができない。そうありたいものだ。スーツもそうだが、「完璧」といわれるものは、一見、自然に映る。


「ファッション」の新しいアイデアも貴重だが、男の装いは、ゆっくりと時間をかけて完成されるものだ。つまり、その人の、「良い時の流れ」が、着こなしに「奥行き」をつくる。


男の装いは、バタバタしていてはいけない。いかに、分刻みの仕事のスケジュールをこなしていても、姿は、それとは別の次元の時間が流れていなければ、エレガント、優雅な男とはいえない。


ゆっくりと時間をかけて、くり広げられる「生活」、、、


「モノ」の形容詞としての「エレガント」や「優雅さ」が濫用される反面、本当にエレガントな男が少なくなったのは、金ではなくて、そういう「生活」を軽んじる男が増えたからだと思う。



、、、ソウ考えれば、冒頭の女史の言葉もアナがち、、、恐るべし、女性の六感。











contact
「六義」
中央区銀座一丁目21番9号
phone 03-3563-7556 e-mail bespoke@rikughi.co.jp
copyright 2006 Ryuichi Hanakawa

[PR]
by rikughi | 2006-05-28 01:31 | 1.シャツとネクタイ

「大人の お伽噺」 3 プレイボーイ その2






d0004856_238365.jpg1953年、冬のマンハッタン。
ルビは、トルフィーヨ将軍とともに、プラザホテルに滞在していた。ちょうど、その時、ハンガリー生まれの美人女優、ザ・ザ・ガボール(正確には、ジャ・ジャ・ガボール、ジャ・ジャは、英語名ではSUSANにあたるニックネーム)も、ニューヨークでの最新作のプレミアに出席するためプラザに泊まっていた。

プラザが、「プラザ」としての威厳を、まだ保っていた時代だ。



ザ ザは、ミルク色の肌とブロンドの、ミス・ハンガリーにも選ばれた(ちなみに、本当は、選ばれたのは彼女の姉だったという説もある)ゴージャスな美人だった。ザ ザも、息長く銀幕で活躍したが、ダニエル・ダリューと違って、出演作はB級娯楽映画が多く、女優としての才能よりも、その華やかな交友と、豪華な暮らしぶりで有名だった。(ザ ザは、パリス・ヒルトンの曽祖父、ヒルトンホテルの創始者、コンラッド・ヒルトンをはじめ、生涯、9度、結婚している。ちなみに、ウワサではザ ザの伝記テレビ映画の企画がすすめられており、その主役、すなわちザ ザ ・ガボール役にパリス・ヒルトンがオファーされているという。)


ルビが、ザ ザとはじめて出会ったのは、プラザのエレベーターに、偶然乗り合わせたときだった。ザ ザは、ミンクのコートを着て、2匹のプードルを引き連れていた。


ザ ザとルビは、似た者同士だったのかもしれない。<「人生は神様が与えてくれた享楽の果実」、、、人生を楽しむことにかけては、二人ともエリートだった。>二人を結び付けるには、ルビが送った部屋一杯の最上の赤い薔薇だけで充分だった。それは、ルビの本名=ルビ ローザ(スペイン語で赤い薔薇)にちなんでいた。

ルビは、赤い薔薇で彼女の部屋を満たした翌日、ザザの隣の部屋に移った。そして、部屋と部屋とをつなぐドアを静かにノックした。ドアは、もちろん、ザ ザの微笑みとともに開いた。



ザ ザにつれられて、ルビの交友範囲は、フランク・シナトラ、サミー・デイビスJR、エバ・ガードナー、キム・ノバックという綺羅星のようなハリウッドスターまでにも広がる。事実、サミー・デイビスJRの自伝には、パリを訪れたときの思い出としてルビとの交友が描かれている。

ルビは、ジェットセットのハシリだった。その交友も、いまや、アガ・カーンから各国の社交界、ハリウッド・スター、JFケネデイまでも含まれていた。


ルビの外交官生活は、常にラブスキャダルと表裏一体だった。1953年、有名なレイモンド タバコの相続人、リチャードがその妻を密通の罪で訴え、裁判沙汰になったのも、妻があまりに、ルビに夢中になりすぎたせいだし、著名な英国人ゴルファー、ロバート・スイニーの妻、ジョアンも同様だった。この、「事件」には、新聞もルビを名指しで非難した。



さすがのトルフィーヨ将軍も、あまりのスキャンダルの広がりに、ルビを一時、公的活動から身を引かせ、更迭せざるを得なかった。それでも、ルビの「愛の冒険」はとどまるところを知らなかった。

いったい、56年という短い生涯に、何人の愛人たちがルビの人生に登場したのだろう。ウワサでは、アルゼンチン大使時代には、あのエビータ・ペロンとも、ハリウッドでは、マリリン・モンローとも関係があったといわれている。


d0004856_016836.jpgザ ザとのロマンスは、マスコミの格好の話題となり、スキャンダラスなケンカ沙汰や(有名なブラックアイ事件、内輪ゲンカの末、ザ ザが、ルビの背中をついた際、「つい」ルビは、右フックをザ ザの右眼にくらわした。結果、ザ ザの右目は見るも無残な黒アザとなった。ザ ザは、黒革の眼帯をして記者たちの前に現れ、それでも彼女は、「男が女を殴るのは、深く愛している証拠ヨ」とウソぶいた。)、ニースやドーウ”イル、サンモリッツに、二人が現れる度に、写真とともに大きく報道された。

しかし、結局、二人の恋は、結婚には至らなかった。



ザ ザとのロマンスが破局に終わったことをゴッシプ欄好きな人々が知る頃、ルビは突然、4度目の結婚を発表する。相手は、大富豪ウールワース家の相続人、ニューヨークの億万長者、バーバラ・ハットンだった。


1953年、12月30日、バーバラとの結婚式が、ニューヨークのドミニカ領事館で執り行われた。一旦は、アルゼンチン大使というポジションを取り上げたトルフィーヨ将軍だったが、このアメリカ一の大富豪との縁組にはご満悦だったのか、ルビに再度、パリ領事館への勤務を命ずる。


しかし、ルビにとってバーバラとの結婚生活は、当初からしっくりとくるものではなかった。理由は、虚弱なバーバラの持病と、辛抱のなさだった。挙式後、二人は、陽光溢れるフロリダ、パームビーチのマハラジャが所有していた豪華な館に居を落ち着けるが、バーバラは、日焼けを嫌って、部屋に閉じこもり切りだった。
これでは、人生をエンジョイしようとするルビに合うハズがない。



また、一方では、ウワサによると、バーバラとのハネムーンの旅先で、ルビはザ ザと「再会」し、バーバラとの結婚中も、ザ ザと密会するため、自家用飛行機でフェニックスまで通っていたともいわれている。バーバラとの離婚は、ザ ザとホテルで、ビーチハウスで、あるいは山小屋でと、さんざ、密会を重ねたあげくのことで、”バーバラがアマリニ「非活動的」だったから”というのは、自身を正当化させるためだと非難されもした。


結局、バーバラとの結婚生活は、3ヶ月と持たなかった。そして、ルビの手元には、5頭のポロ競技用の馬と、もう一台の自家用飛行機、「ラ・バランカ」と名づけられたドミニカの広大な農園、それに300万ドル以上にものぼる慰謝料が短い結婚の代償として残った。

その後、ルビは、しばらくザ ザとヨリを戻している。不思議なことに、ルビと関係のあった女性たちは、その後も、ルビと再会するのを楽しみにしていた。誰もルビの悪口を言う者はいなかった。



d0004856_02917.jpg1956年、ルビは5度目の結婚をロンシャンで行う。今度の花嫁は、うら若きフランス女優、オデール・ロダン。彼女は19歳だった。当時、ルビは47歳、実にふた周り以上の年齢差だった。

オデールは、ブルネットの清楚な美人で、歳の割には、落ち着いた賢明さを備えた女性だった。オデールは、献身的な愛をルビに捧げ、新妻の要望もあり、二人は静かで端正な、フランスの田舎町、マルネ ラ コケットに家を買い、より「シンプル」な生活を送り始める。それでも、ルビはポロ競技と、フェラーリを駆ってのオートレースだけは楽しみ続けた。


1958年、トルフィーヨ将軍は、ルビにキューバ、ハバナ大使を命ずる。当時、キューバは、バチスタ将軍政権と、カストロが率いる反乱ゲリラとの2大勢力が拮抗する、まさに一触即発の時代だった。


ルビがハバナに赴任したとき、ルビのもうひとつの「金のかかる趣味」=カーレースのパートナーでもある、アルゼンチンのチャンピオンレーサー、ホアン・マニュエルがキューバーレースに参戦していた。そうした嬉しい偶然もあったが、プレイボーイ外交官、ルビの赴任は、キューバにとって時期的に好ましいものではなかった。1958年には、ルビはキューバーを後にしなければならなかった。パリにオデールとともに戻った後、ルビはベルギー公使に任命されている。


いったい、独裁者トルフィーヨ将軍のもと、ルビの「外交官」としての仕事は、どの程度のものだったのか。史実としては、華々しい「愛の冒険」の一方で、1935年には、ルビのいとこにあたるルイス・デ ラ ルビローザが、ドミニカから追放された政治家 セルジオ・バンコスムを暗殺したかどで、ニューヨークで起訴された際、ルビとの繋がりを取り沙汰されている。 


また、1956年にも、合衆国へ亡命していたコロンビア大学のバスコ・デ・ガルデズ博士の失踪(政治的な理由から暗殺されたといわれている)にも、その関与が取り沙汰された。

どちらも、ルビはその関与について否定している。

ただ、言えることは、ルビは、自分に名誉と金を与えてくれるトルフィーヨ政権の維持には忠実だったと言うことだ。


1960年に、米州機構(O.A.S.)がトルフィーヨ政権を認可した際、ルビは旧知のJ.F.ケネデイとトルフィーヨ将軍の間を取り持ち、公海上での会談を画策しもした。ただ、この会談は、米国側議員の抗議によって実現はしなかった。

外交官という装いは、プレイボーイ、ルビにとって格好のパッケージだった。


しかし、1961年、5月30日、トルフィーヨ将軍が暗殺者の銃弾に倒れる。ルビは、あらゆる努力をするが、1962年、ドミニカの国務省によって外交官の地位を剥奪される。これ以降、ドミニカ政府ならびに、大使館はルビを徹底して無視した。

しかも、外交官特権を失うと同時に、ニューヨーク検察は、1935年、及び1956年の暗殺事件へのルビの関与について、再度、諮問した。(ルビは、その関係を否定している。)


ルビは、オデールの勧めもあり、マルネ ラ コケットの閑静な家で、メモワールを書き始める。
たしかに、ルビのこれまでの人生は、書き残すに値するものだった。色恋沙汰も、ここまで徹底すると、硬い結晶を結び、ひとつの宝石となる。それは、充分、人を魅了する輝きをもっていた。


しかし、ルビが、自身の過去を遡り、文字に刻むとき、私には、それが、プルーストの「失われた時を求めて」の最終篇、「見出された時」の主人公の姿とだぶってみえる。偶然にもサロンに一堂に介した、かつて、あれほど自分の興味を抱かせた人物たちが、皆、年老いて只の偏屈な老人に変わり果てているのをみて、あらためて、失われた「時」というものを認識する。アレは、幻ダッタノカ。イヤ、現実におこったコトだが、通り過ぎた「時」は、いまや実体はなく、歳月とともに、いっそう、あいまいさを残す。その不可思議な感覚。


独裁者直属の「外交官」というパッケージを失っただけでなく、ルビ自身も、もう若くはなかった。プルーストが書いているように、肉体は精神を、ひとつの砦のなかに閉じ込め、やがて、その「砦」は包囲され、ついに、精神は降伏する。


ルビは、オデールと出会って、結婚してからも、女優のキム・ノバックを始め、幾人かの女性たちと交渉があったといわれている。「生きている神話」となった彼を、周りもほおっておかなかっただろう。いくら「外交官」の職を失ったとはいえ、困らないだけの金は残った。


しかし、失われた「時」は戻ってこない。



それから、3年後、「老い」の無残さを見せることもなく、ルビは、何かに仕組まれたように、しかし、いかにも「プレイボーイ=ルビ」にふさわしい最期を迎え、「神話」のまま、ある種の人々の心に残った。









contact
「六義」
中央区銀座一丁目21番9号
phone 03-3563-7556 e-mail bespoke@rikughi.co.jp
copyright 2006 Ryuichi Hanakawa

[PR]
by rikughi | 2006-05-06 09:18 | 4.プレイボーイ その2