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「日々の愉しみ」  3.My Favorit Shop


「ウ~ン、、、、」

(代々の付き合いの京都の組紐屋の親父の言葉<ウナリか?>。)

(このとき、私は、何を思ったか、組紐をローファーにつけることを思い付き<このブログの右上の写真が、そのローファーである>、さっそく、京都に出向いた。親父は、「靴につける。」という私の言葉に、うなったが、それでも、組紐は指定通り仕上り、そして、それは海を渡って、ウイーンに持ち込まれた。、、、)

「ヤー、ヤー、、、」

(我が愛するウイーンの靴屋の言葉<ウイーン人は、相槌として、しきりに、「ヤー」と言う>。)

(組紐とともに、日本の兜のデイテイールを施したデザインスケッチを仕上げ、ついでに古い兜の冊子を一冊携えて、私はウイーンの靴屋を訪れた。真面目で精力的な若旦那は、私の説明に、やや興奮気味に何度も頷き、この靴用に、光沢のある特殊な靴クリームをパリでつくらせ、私の漢字のサインも踵の内側に施され、待つこと、しばし、実に独創的な一足が仕上がった。、、、百歳堂敬白)



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我がホームタウン、消費の都、東京にいて、私は滅多に買い物にでかけるということがない。 オフィスが銀座にあるので、世界中のあらゆるものが、歩いて数分のところに群がっているだろうに、何故か足が向かない。

半世紀も生きていると、モノも溜まっていくので(確かに、充分過ぎるほど持ってはいる、、、)物欲が無くなったのかというと、そうとも言い切れない。キラキラ輝く街をみるのも好きだし、浪費する魅力も知っている。


考えてみると、「買い物」に、私が期待しているのは、見栄や、物欲を満たしてくれるだけなく、何か「創造力」を満たしてくれるものだと思う。


例えば、ウインザー公が、公爵夫人のためにカルテイエにオーダーした金のシガレットケースには、世界地図の上に、新婚旅行で訪れたルートがエッチングされ、訪れた街の場所にはルビーが埋め込まれていた、、、


、、、レデイ ドッカーは、4台のダイムラーを持っていたが、それぞれの車の内装を、自分のハンドバッグとマッチングさせていた。例えば、メタリックブルーのリザードのハンドバッグで出掛けるときは、同じメタリックブルーのリザードで内装されたダイムラーを使い、ほかにも、手持ちのハンドバッグに合わせて、赤いクロコダイルの内装のもの、手織りの金のブロケード織りのもの、そして極め付きは、6頭の縞馬の革を張り巡らせたダイムラーだった。
(或るとき、革の好みを尋ねられたレデイ ドッカーは、こう答えたものだ、「ミンクは、車の内装には向かないですわネ、座ってみるとわかりますけれど、暑すぎますわ。」)



これらは、極端な例ではあるが、ウインザー公にしても、レデイ ドッカーにしても、彼らなりのスタイルで、単なる豪華なシガレットケースや車という以上の魅力を、そのモノに与えているとはいえないだろうか。

たとえ、ウインザー公爵夫人が、夫婦喧嘩の最中には、このシガレットケースを憎らしく思えようとも、或いは、レデイ ドッカーが、いちいち車を乗り分けるのに、実はウンザリしていようとも、

ソレらは、まさしく「彼ら自身」といえる。


多分、今の銀座に溢れる多くのモノは、対価として支払う紙幣と同じように、どこにでも流通しているモノだ、、、30万円のバッグは、30万円のルックスをしている、、、雑誌でみかけた「レアモノの」デザイナーの服は、見かけた通りの姿で、既に店で待ち構えている、、、、私に必要なのは、2千円だろうが、100万円だろうが、いまだ「不確か」ではあるが、「私のルックス」なハズだ、、、

思えば、モノを所有するというのは、楽しいけれど、メンドウなものだ。使い捨てにしない限り、チョットした気まぐれが、メインテナンスの手間を次々に生むことになる。これらの手間は、思いのほか、貴方の限られた時間と空間に、我が物顔で侵入してくる。どうせ、メンドウなモノなら、ココは、自分の生きてきた「証拠」となるようなものを手に入れようではないか。(ドチラにしても、必要不可欠なモノというのは、そうナイのだから、、、)


「私のルックス」を手に入れるために、私は多くの店を尋ね歩いた。


例えば、粋な帽子(シャポー)。コレほど、優雅で、しかし、無くともイッコウに困らないアイテムもない。近頃では、仕立ての良い背広に、それに見合う上等の帽子を被った男性をみかけることは、メッタになくなった。残念なことだと思う。いまや、本気で、親身になってくれる「本物の」帽子屋を探そうとすると、難儀する。

しかし、いまだ、ヨーロッパでは、ダービーなど公の場においては、帽子が必須であることを思えば、コレは、紳士の最もわかりやすい記号なのかもしれない。
第一、帽子ひとつで、背広姿は優雅に一変する。被り慣れると、無いと、ナンダカしまらないと感じ始めさえする。
(ただし、被りなれないと、どこか道化て見えてしまうというコワサもある。熟練が必要なアイテムなのだ。)



d0004856_21373068.jpg白状すれば、私は、帽子に限らず、昔ながらのエレガントなライフスタイルに基づいた、しかし、年々、消え去る運命にあるアイテムというのに、ドウモ、魅かれる傾向がある。
きっと、ソレらは、世界的なドレスダウン傾向のなかでは、無用といえば無用で、かえって、メンドウなものなのだろう。

けれど、オカシナことに、「無用」なモノに限って、「優雅」は宿る。「美」は限りのない「無駄」から生まれる。バウハウスがアンチテーゼとして目指した「用の美」も理屈としては、革命的で評価もするが、「エレガント」や、「優雅」というのは、所詮、用を求めるものではなく、人の「生き方」の問題なのだ。

人が生きていれば、無駄も損もあって至極当然で、一片の無駄もない「効率的」な生き方を目指すのが、果たして幸せなことかどうか。

「無駄」や「損」から生まれる「何か」を許容できてこそ、「生きる」という摩訶不思議な魅力を味わえるのだと思う。


それは、ローマの4月、コルソ通りの散歩から始まった。

ふと立ち寄った本屋で、目をひいた一冊の本。それは、古今東西の帽子がとりあげられた好事本で、パラパラめくると、いかに、紳士が、この「無用の長物」に情熱を傾けていたかが分かる。
サボイアの皇太子は、ブリムの広いソフト帽を旅行の時には愛用していた、ルイジ ピランデロはやけに幅の広いシルクのリボンをホンブルグに飾るのが好みだった、、その他、オクタングルの旅行帽から、紋章と房のついたナイトキャップまで、、、それらは、実に「個性的」ではあるが、不思議に持ち主に同化して見える、、、


私は、私の身体の一部となってくれる帽子が欲しくなった、、、英国人は、長年、着込んで、クタブレはてたツイードのカントリージャケットを「オールド フレンド(永年の友人)」(モノも言い様だ。)と呼んで、それでも愛着し続けていることがある。私も、年を経るごとに、頭にシックリ馴染んでいく、そんな帽子が欲しかった、、、こうして、コルソ通りの本屋を出発点に、私の帽子屋遍歴がはじまった。


一般に、紳士用の帽子には、ホンブルグなどの「固い」のと、フェドーラのように「柔らかい」(日本ではソフト帽という表現があるけれど)のがある。(どちらも、主にはビーバーフェルトを使い、質に従って、5Xとか、4XとかXの数が増える。)私は、「柔らかい」のは、パリで注文することにしていた。



パリの紳士用の帽子屋では、いまは、エルメスの傘下にはいっている「モッチ」と、ランバン(ランバン自身が、帽子屋を出自としているが、主には婦人帽で、紳士帽の方は「ジェロ」という店を傘下にしている。)が有名どころで、私は、ランバン=ジェロの方を贔屓にしていた。
(ジェロは、1835年に創業し、確か、元の店は、ル ド ラペにあったはずだ。パリを訪れたエドワード7世が、この店を気に入り、ロイヤルワラントを授けたことからも、この店の出自は分かる。60年代後半にランバンの傘下にはいったということだ。)

これには、二つほど訳があった。

ひとつは、「ジェロ」には、ステッチを縦横にめぐらした独特の帽子があって、コレが気に入っていたからだ。
これは、ブリムの幅や、形で数種のデザインがあり、素材も、防水加工をしたカシミアウールなど、様々な素材が用意されていた。(「旅支度」の項で、フィッテイングケースとともに写っているのが、愛用のひとつである。この帽子については、後で触れるとして、、)

モウひとつの、理由は、「ジェロ」を取り仕切っていたオバサンの存在だった。
私は、このオバサンとおしゃべりするのが愉しみで、この店に通っていたともいえる。



「ジェロ」は、フォーブルサントノーレのランバンの3階だったが、5階だったかのオーダーメイド専用のフロアにあった。

「ランバン」や「エルメス」、(買い取られる前の「ゴヤール」も)など、パリのスノッブな老舗は、大概、メゾンの上階に、特別注文をする奇特な客のためにサロンを用意していた。

当時のパリの、ある程度、老舗といえる店は、あのシャンゼリゼのヴイトンでさえ、先ずは、カウンターに座って、欲しい商品を店員に告げて、取り出してもらうというスタイルだった。(いまは当然のように思える、客が店を回遊して勝手に商品を品定めするというスタイルは、本当に稀だった。)

だから、ロンドンや、パリの老舗といわれる店で、買い物するのはメンドウだった。欲しいモノのイメージを、あらかじめ決めていかないと、質問攻めにあってツライところがある。既製品ならマダしも、注文するとなるとナオサラだった。

つまり言い換えれば、こういう店で「買い物」をするというのは、有閑階級の「優雅なヒマ潰し」だったということだ。



このフロアには、シャツやタイユールのコーナーもあって、エレベーターを降りると、すぐのところに、「ジェロ」の特徴的なブルーのハットボックスが並んでいた。


当時、このコーナーには、帽子の木型や、金型、型どりにつかわれるスチームなどがあって、ちょっとしたアトリエになっていた。そこを取り仕切っていたのが、40~50代ぐらいのオバサンで、この人が、素材や、スタイルの相談や、製作も担当していた。

このオバサンは、パリの店によくいるオーナータイプの「マダム」というのでなく、クチュールのお針子を思わせる職人サン、パリジェンヌの、ひとつの伝統といえる職業婦人だった。体型も、どちらかというとヤセ型で、いつも首元には、ネッカチーフを昔風に粋に巻いていた。


当時のランバンのオーダーサロンは、いまよりは、ズットのんびりした雰囲気で、奥にくつろげるように大きなソファがあった。右手には、シルクやコットンのシャツ生地が並び、左手には、スーツ用の生地がならんでいた。

私は、パリでは、タウンスーツはバーソロミューという腕の良い、小さなテーラーに頼んでいたが、タキシードやフォーマルはランバンに頼むことにしていた。ランバンのタイユールは、昔はテールコートに定評があって、あの薩摩次郎八が、ウインザー公をならって、パリの社交界では初のミッドナイトブルーのテイルを誂えたのもランバンだったということだ。

私が訪れるときには、いつも必ず、馴染みの男性店員が、出迎えにきてくれた。

ランバンでは、職人とセールスは区分されていて、お勘定とか、細かいことはセールスの担当で、いつもソバについていた。お勘定をするときは、セールスと一緒にキャッシャー(これも、また区別されていた)に行くか、常連になると口座を開いて、時折、キャッシャーが連絡をくれるということになっていた。そして、これは、どこの老舗もそうだったが、担当のセールスが出世して現場のセールスをはずれようが、一旦、担当した客には生涯、その担当者がつくという決まりになっていた。


このオバサンの言い回しには、独特なものがあった。それが、パリの下町言葉なのか、職人言葉なのか、オバサン独自のものなのかは、わからないが、それもチャーミングで、おもしろかった。
思うに、注文する「愉しみ」というのは、既製品と違って、その職人さんと「話す」というのも大きな要素だと思う。
それに、そのモノもそうだが、例えば、帽子の場合は、ソフトを被るとき、前の部分をヘシ曲げた方が粋だとか、ホンブルグは、どちらか片方の耳に端がつくように傾けるのが決まりだ、とか、そういう、「無駄」で、優雅なアドバイスを聞くのも愉しい。

オバサンが得意としていたのは、前述の帽子じゅうにステッチを施したスタイルで、これはジェロ独特のものだ。このスタイルで、ブリムのあるもの、無いものなどは、お好み次第で、この帽子用の素材スワッチも奥からいろいろ取り出してきてくれた。

私は、旅行の計画を思いつくと、出かけるときの服装に合わせて、このスタイルで新しい帽子を頼むことにしていた。

、、、ブルーとヘザーグリーンのツイードのスーツに合わせた、グリーンのツイード調のモノ、シルクカシミアのコートにあわせたビキューナ色の防水加工したカシミアウールのブリムの広いモノ、ホワイトフランネルのスーツに合わせた、同素材のスポーツタイプのものなど、、、。

帽子とオーデコロンを新調して、私は、列車に、飛行機に、車に乗り込んで、旅に出るのを愉しみにしていた。

「帽子」と「香水」は、旅の気分を浮き立たせてくれる、私にとっては不可欠な「友」だった。

このオバサンたちとの関係を、どう上手く伝えればいいのだろう、、、多分、売り手と買い手、注文主と作り手の幸福な関係がまだあった時代なのだと思う、、、私は、旅行の前にヒマをみつけては、フォーブルサントノーレまでブラブラ出掛けていった。大概、その前には、シャンゼリゼの「トラベラーズ」という美しい建物のクラブで、昼食を摂って、くつろいでから、近くの「クリード」で新しいオーデコロンについて、調合師と打ち合わせをして、(いまでは、どうか分からないが、クリードでは、主に、男物のオーデコロンを調合してくれていた。)或いは、キャロン通りの「ドミニク フランス」に寄って、アスコットタイやポケットチーフを頼んだりして、それで、タクシーを拾ってサントノーレまで行くことにしていた。

サントノーレのランバンにつくと、顔見知りの店員に挨拶されながら、店の奥のエレベーターに向かう。3階に着くと、「ジェロ」の一角でおばさんが待っていてくれる。挨拶やら、近況などやら言葉を交じ合わしていると、なじみの店員が「何か飲み物をおもちしましょうか」と声をかけてくれる。


私が頼み始めた当初は、3人のオバサンがいた。そして、何故か3人ともセーター姿で、首元には、申し合わせたように、ネッカチーフをしていた。

出されたお茶を飲みながら、オバサンたちと今度、旅行に出かける服装のことなどを話す。「ツイードのスーツなら、良いツイードがあるワ。イギリスのじゃなくて、リヨンの手織りで、シルクがはいっているヤツ。エレガントよ。」とか、私が、今度は少し浅めにして、ブリムも狭く、丸いトップの昔のフォーマル用みたいなのにしょうというと、「ノン、ノン、似合わないワヨ」とか、3人のオバサンがよってたかって、生地サンプルと帽子のサンプルをとりだしながら、注文は形を作っていく。

それから、世間話をしばらくして、3人交互にお別れのキスをして私は帰る、、、それは、どうということはないけれど、幸せな時間だった。帽子そのものは、何個かたまると、どうしても、もうひとつ必要だというものでもない。それでも、私は旅行の度に、ココへ帽子を頼みにくるのが楽しみだった。

それは、いまのデパートや小売業界の人が言う、お客様は神様で、質の高いサービスと信頼を、、、というのとは、多分、次元が違う。世界が別のところにあると思う。既製品の世の中になって、所詮、紙幣とモノの「交換」を基本とするかぎり、「交換」は「交換」であって、それ以上の世界は現れない。だから、我々は、やたらに選択の幅を求め、世の中にはモノが溢れ、もとより差別化のできない流通は、重箱の隅をつつくような「サービス」に迷い込んで疲弊する。

多分、私が「買い物」に求めているのは、オバサンたちがつくってくれたシンプルな「世界」なのだ。
そこには、幸福な関係というのがあって、おおげさに言えば、人生に必要なチョットした楽しみというのがあるように思う。基本となるのは、お互いの愛情であって、それさえわかっていれば「交換」では味わえない大人の男としての経験を積み重ねることができる。自分自身を振り返ってみても、あの時代にそれを味わえたのはラッキーだったし、その経験は、確実に栄養になっていると実感する。

こう考えていくと、何故、自分がいま買い物不精なのかヨク分かる。


社会情勢もあるのだろうけれど、良いパーソナルショップが少なくなったのは、愛情のある顧客と、愛情のある職人が減っていったのがソノ大きな理由なのだと思う。









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by rikughi | 2006-09-01 01:47 | 3. My Favorite Shop